河野通春
河野通春
伊予守護職を巡り本家と争った予州家当主
1421-1482 · 享年 61歳
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ゆかりの地 1か所
河野通春を訪ねる
1 ヶ所
足跡をたどって、実際に巡る。
港山城
愛媛県
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生涯
応永28年(1421年)、伊予守護河野氏の一族・河野通元の子として生まれた。河野氏の分家「予州家」当主となり、本家の河野教通と伊予守護職を巡って激しく争った。文安6年(1449年)に初めて守護職に就くも翌年教通に交替、以後も享徳2年(1453年)・長禄3年(1459年)・応仁の乱後の文明9年(1477年)と、生涯で計4度守護職に任じられては失う抗争を繰り返した。応仁の乱では西軍に与して幕府・細川方と対立。文明10年(1478年)、伊予国和気郡で教通方と戦い敗北し、勢力を後退させた。晩年は伊予国三津の港を見下ろす港山城を拠点に据えたが、文明14年閏7月14日(1482年8月28日)、同城で病没した。享年62。子の通篤が跡を継いだが、まもなく本宗家に攻め落とされたと伝わる。
人物像
本家との守護職争奪を生涯にわたり続けた執念深い政治家。4度にわたり守護職に就いては追われる浮沈を経験しながらも屈せず戦い続けた。この長期にわたる内訌は河野氏の勢力を消耗させ、戦国大名へと脱皮できなかった一因になったとされる。
歴史的意義
港山城跡は河野水軍ゆかりの地として整備され、現在は史跡公園となっている。通春と教通の長きにわたる抗争は河野氏の統治体制を弱体化させ、後の戦国期における河野氏没落の遠因になったと評される。
さらに深く
家系図
家系の記録は未登録です。
─ 完 ─
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