五摂家筆頭・近衛家の出身で、明治・昭和期の政治家。容姿端麗で貴族的な雰囲気を持ち、国民的な人気を誇った。1937年に第34代内閣総理大臣に就任し、日中戦争が勃発すると「国民政府を相手にせず」の声明(近衛声明)を発し、和平交渉の可能性を自ら閉ざした。大東亜新秩序・東亜新秩序構想を打ち出したが、戦線の拡大を抑えられなかった。1940年には第二次近衛内閣を組織し、大政翼賛会を結成して国内の政治的多元主義を解体した。また独伊との三国同盟を締結し、日本を枢軸国の一員とした。1941年、日米交渉を試みたが成功せず、第三次近衛内閣は東条英機内閣に取って代わられた。敗戦後、戦争犯罪人として連合国から訴追が予告されると、1945年12月16日に自らの邸宅で服毒自殺した。享年54歳。日本が戦争へ向かう最も重要な局面で首相を務めた悲劇的な政治家として歴史に記される。