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PERSON
近衛文麿
近衛文麿
日中戦争期の首相・昭和の悲劇的宰相
1891-1945 · 享年 54歳
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生涯
五摂家筆頭・近衛家の出身で、明治・昭和期の政治家。容姿端麗で貴族的な雰囲気を持ち、国民的な人気を誇った。1937年に第34代内閣総理大臣に就任し、日中戦争が勃発すると「国民政府を相手にせず」の声明(近衛声明)を発し、和平交渉の可能性を自ら閉ざした。大東亜新秩序・東亜新秩序構想を打ち出したが、戦線の拡大を抑えられなかった。1940年には第二次近衛内閣を組織し、大政翼賛会を結成して国内の政治的多元主義を解体した。また独伊との三国同盟を締結し、日本を枢軸国の一員とした。1941年、日米交渉を試みたが成功せず、第三次近衛内閣は東条英機内閣に取って代わられた。敗戦後、戦争犯罪人として連合国から訴追が予告されると、1945年12月16日に自らの邸宅で服毒自殺した。享年54歳。日本が戦争へ向かう最も重要な局面で首相を務めた悲劇的な政治家として歴史に記される。
人物像
貴族的な外見の裏に、決断力の欠如と優柔不断さを抱えた政治家。国民的人気を背景に時代の波に乗ったが、強固な意志を持てず、軍部の圧力に流され続けた。知性と善意を持ちながら、歴史的な悲劇を防ぐことができなかった。
歴史的意義
日中戦争の拡大と大政翼賛会の設立は日本の戦争への道を決定的にした政治的決断として歴史家に議論され続けている。その悲劇的な生涯は、知識人が全体主義的潮流に抗えなかった昭和日本の象徴として語られる。
逸話・エピソード
近衛声明と日中戦争の泥沼——近衛文麿の三度の首相就任
近衛文麿は三度にわたって内閣総理大臣を務め、日中戦争期の「国民精神総動員運動」・大政翼賛会設立・日独伊三国同盟締結など、戦時体制確立の中心にあった。「近衛新体制」を掲げながら軍部の暴走を制御できず、戦争の拡大を招いた。敗戦後、戦犯として逮捕される前日の1945年12月16日に服毒自殺した。享年54歳。
─ 完 ─
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