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PERSON
久保田万太郎
久保田万太郎
浅草の情趣を詠んだ小説家・俳人
1889-1963 · 享年 74歳
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生涯
1889年(明治22年)、東京・浅草田原町の袋物商の家に生まれた。慶應義塾大学在学中に小説「朝顔」で永井荷風に認められ、以後小説・戯曲・俳句のすべてを手がける多才な文人として活躍した。大正・昭和期を通じて浅草を舞台にした作品を数多く発表し、東京下町の情趣を独自の文体で描き出した。戯曲「大寺学校」「釣堀にて」などで演劇界にも重要な足跡を残し、文化学院・慶應義塾大学などで後進を指導した。俳句では俳誌「春燈」を主宰し、日常の機微と江戸前の粋を詠み込む独自の境地を開いた。晩年は神奈川県鎌倉市に住み、鎌倉・東京を往き来する日々を送った。1957年に文化勲章を受章。1963年5月6日、梅原龍三郎邸での会食中に急逝した。享年73歳。
人物像
多才で社交的な一方、深い孤独感と寂しさを抱える内省的な人物。江戸っ子の粋と近代人の哀愁を併せ持ち、その矛盾が作品に独特の陰影を与えた。酒と芝居と友人を愛した。
歴史的意義
浅草・下町を舞台とする小説と俳句は、失われゆく東京の情景を言葉に刻んだ貴重な記録となった。俳誌「春燈」系譜の俳人を多数育て、「文人俳句」の代表的存在として戦後俳壇に影響を残した。現在も慶應義塾の図書館や浅草寺周辺に彼を偲ぶ資料が伝わる。
逸話・エピソード
俳誌「春燈」の創刊
1946年、戦後の混乱の中で俳誌「春燈」を創刊し主宰した。「春燈」は日常の機微と下町の情趣を重んじる俳風を掲げ、戦後俳壇の有力な一派を形成した。主宰は万太郎の没後、安住敦に引き継がれ現在も続いている。
鎌倉での晩年
戦後は神奈川県鎌倉市に住居を構え、東京の劇壇・文壇との往復を続けた。鎌倉文士と呼ばれる川端康成・小林秀雄らと交流し、由比ヶ浜・鶴岡八幡宮・小町通りなど鎌倉各所を詠んだ句を多数残した。「鎌倉の果から果の小春かな」はその代表作。
─ 完 ─
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