1889年(明治22年)、東京・浅草田原町の袋物商の家に生まれた。慶應義塾大学在学中に小説「朝顔」で永井荷風に認められ、以後小説・戯曲・俳句のすべてを手がける多才な文人として活躍した。大正・昭和期を通じて浅草を舞台にした作品を数多く発表し、東京下町の情趣を独自の文体で描き出した。戯曲「大寺学校」「釣堀にて」などで演劇界にも重要な足跡を残し、文化学院・慶應義塾大学などで後進を指導した。俳句では俳誌「春燈」を主宰し、日常の機微と江戸前の粋を詠み込む独自の境地を開いた。晩年は神奈川県鎌倉市に住み、鎌倉・東京を往き来する日々を送った。1957年に文化勲章を受章。1963年5月6日、梅原龍三郎邸での会食中に急逝した。享年73歳。