1200年、二代将軍・源頼家の次男として生まれた。幼くして母方の縁を通じて鶴岡八幡宮別当・定暁の弟子となり出家、僧侶として育てられた。しかし父・頼家が1204年に北条氏の策謀により伊豆修禅寺で殺害され、将軍職が叔父・実朝に移ったことへの怨念は年を追うごとに深まった。公暁は将軍・実朝や幕府の重臣に接近しながら機会をうかがい、剣術の修行も続けた。1219年正月27日、実朝が右大臣拝賀のために鶴岡八幡宮に参拝した際、公暁は大銀杏の陰に隠れて待ち伏せた。儀式を終えた実朝が石段を下りてくると「親の仇はかく討つぞ」と叫んで飛びかかり、斬殺した。実朝の首を持ち去った公暁は間もなく三浦義村の家人・長尾定景に捕らえられて討たれた。享年20歳。この事件により源氏将軍の血統は完全に断絶し、北条執権政治が本格的に始まる転換点となった。公暁の背後に三浦義村あるいは北条氏の謀略があったという説も根強い。