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PERSON
九条兼実
九条兼実
摂政関白・『玉葉』の著者
1149-1207 · 享年 58歳
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生涯
1149年、藤原忠通の六男として摂関家の名門に生まれた。幼少より学問・詩歌に秀で、長じて摂政・関白を歴任した。源頼朝との協力関係を積極的に築き、頼朝が武家政権を樹立するにあたって朝廷との調整役を務めた。頼朝は政治的後ろ盾として兼実を支持し、1191年に後白河法皇が没すると兼実は関白に就任して朝廷政治の頂点に立った。しかし源通親(土御門通親)が兼実の政敵として台頭し、後鳥羽天皇の信任を得た通親の策謀により1196年に失脚・解官させられた。晩年は法然に帰依し、その専修念仏の教えに深く傾倒した。兼実の庇護は法然が京都で布教を継続するうえで重要な政治的支援となった。1207年に没。兼実が生涯つけ続けた日記『玉葉』は平安末期・鎌倉初期の政治・文化・社会を克明に記録した最重要の一次史料として、今日の歴史研究に欠かせない。
人物像
学識豊かで誠実な公家。政治的駆け引きよりも正道を重んじたが、それゆえに権謀術数に長けた政敵に敗れた。宗教心が篤く清廉な人格者。
歴史的意義
『玉葉』は源平合戦や朝廷の内部事情を詳細に記録し、平安末期・鎌倉初期研究の基本史料となっている。九条家は後に五摂家の一つとして存続した。
逸話・エピソード
法然を庇護し専修念仏を守った公家の良心
旧仏教勢力の弾圧で布教が困難になっていた法然を、九条兼実は熱心に帰依して庇護した。兼実の政治的支援がなければ法然の専修念仏は京都で存続できなかったかもしれない。兼実は自邸に法然を招いて親しく教えを受け、日記『玉葉』にその内容を詳細に記録した。
─ 完 ─
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