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PERSON
九鬼嘉隆
九鬼嘉隆
戦国最強の海賊大名
1542-1600 · 享年 58歳
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生涯
1542年、志摩国の国人領主・九鬼泰隆の嫡男として生まれた。志摩半島を拠点とした水軍(海賊衆)の頭目として頭角を現し、織田信長に仕えた。信長の命により日本初の大型鉄甲船を建造し、1578年の第二次木津川口の戦いでは毛利水軍に大勝利を収め、石山本願寺への兵糧輸送を遮断した。この鉄甲船は当時の海戦を根本から変える革命的な兵器であった。信長死後は豊臣秀吉に仕え、朝鮮出兵でも水軍を率いた。しかし1600年の関ヶ原の戦いでは息子・守隆が東軍、嘉隆が西軍に分かれるという家族の悲劇が起きた。西軍の敗北後、守隆の必死の助命嘆願も虚しく、嘉隆は鳥羽の答志島で自害した。享年58歳。鉄甲船を用いた水軍戦術は後世の海戦史に大きな影響を与えた。
人物像
大胆で革新的な発想を持ち、鉄甲船という前例のない兵器を実現した。海賊出身でありながら信長の技術革新への志向を体現し、新しい戦術・兵器の導入に積極的であった。
歴史的意義
鉄甲船を用いた木津川口の戦いは日本の海戦史における画期的な出来事として記録されている。九鬼嘉隆は「海賊大名」として日本の海洋史に名を刻み、三重県鳥羽市にはゆかりの史跡が残っている。
逸話・エピソード
木津川口の海戦——鉄甲船で毛利水軍を破った海賊大名の革新
九鬼嘉隆は伊勢湾を根拠地とした海賊衆の頭領から織田信長の水軍大将に取り立てられた。1576年の第一次木津川口の海戦では毛利水軍に敗北したが、信長の命で鉄で覆った大型船「鉄甲船」を建造し、1578年の第二次木津川口の海戦では毛利・村上水軍を圧倒した。この鉄甲船は世界史的にも早い段階の装甲船とされる。関ヶ原(1600年)では西軍に属して敗れ、自害した。嫡男・守隆は東軍に属しており、父の助命を嘆願したが間に合わなかったとされる。
─ 完 ─
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