隈部親永
隈部親永
肥後国人一揆を主導した隈部氏当主
?-1588 · 享年 68歳
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生涯
生年は不詳。肥後国山鹿郡を拠点とした国人・隈部氏の当主。代々の居館・隈部館を拠点とし、天正8年(1580年)に隈府城へ本拠を移すまでここで勢力を築いた。天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州平定後に肥後国主として入部した佐々成政が急激な検地を強行しようとしたことに反発し、親永は肥後国人一揆の中心人物としてこれに抵抗した。一揆は肥後国内の国人衆を巻き込んで広がったが、豊臣方の討伐軍によって鎮圧され、親永は天正16年(1588年)6月20日、切腹に追い込まれて生涯を終えた。この一揆の責任を問われた佐々成政も同年、秀吉により切腹を命じられている。
人物像
新領主による急激な支配強化に敢然と抵抗した気骨ある国人領主。一揆が肥後全域を巻き込む規模に拡大したことは、親永が周辺の国人衆から一定の信望を集めていたことを示している。
歴史的意義
肥後国人一揆は佐々成政の失脚を招き、その後の肥後は加藤清正・小西行長による分割統治へと移行する転換点となった。親永の居館・隈部館跡は2009年に国の史跡に指定され、2011年には親永の銅像が建立されている。
─ 完 ─
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