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PERSON
黒田官兵衛
黒田官兵衛
秀吉の軍師
1546-1604 · 享年 58歳
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生涯
1546年、播磨国姫路の小寺家に仕えた黒田家に生まれた。父・職隆は姫路城代。若くして小寺政職の家老として頭角を現し、1567年に荒木村重の謀反の際には単身で説得に赴いたが逆に幽閉され、1年以上の過酷な土牢生活を余儀なくされた。救出後は足が不自由になった。早くから羽柴秀吉に仕え、中国攻めでは備中高松城の水攻め(1582年)を献策。本能寺の変後は迅速に「中国大返し」を建策し、秀吉の山崎の戦いを支援した。その頭脳明晰さは秀吉に「自分の次に天下を取るのはこの男」と警戒されるほどであった。1587年にキリスト教に入信し洗礼名はシメオン。1588年に嫡男・長政に家督を譲り「如水」と号して隠居したが、実質的な影響力は保持し続けた。関ヶ原の戦いでは長政を東軍に参加させる一方、自らは九州で大友・小西・立花などの西軍勢力を次々に撃破して勢力を拡大。「関ヶ原の決着が長引けば天下が取れた」と嘆いたとも伝わる。1604年に58歳で没した。
人物像
天才的な軍略家で「今孔明」と称された。主君・秀吉にすら警戒されるほどの知略を持ちながら、息子・長政の将来のために自らは身を引く深慮遠謀の人。
歴史的意義
竹中半兵衛と並ぶ秀吉の二大軍師として名高い。息子・長政は関ヶ原の功績で筑前福岡藩52万石を得て、福岡の礎を築いた。2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公。
逸話・エピソード
荒木村重の土牢に一年以上幽閉
1578年、荒木村重が信長に謀反を起こすと、官兵衛は単身説得に赴いたが逆に捕縛され、有岡城の土牢に約1年2ヶ月間幽閉された。暗い土牢の中で腐臭に囲まれた極限状態を生き延びたが、救出後は膝が不自由になった。その後、息子・長政への人質の責任を問われた際も「武士の義務」として受け入れた。この経験が官兵衛の人間的な深みを育てたとされる。
「関ヶ原が長引けば天下が取れた」
関ヶ原の戦いの際、官兵衛(如水)は九州で独自に西軍勢力を次々と撃破し、急速に版図を広げていた。しかし関ヶ原がわずか数時間で終わったため、天下取りの野望は夢に終わった。「もし関ヶ原が半月続いていたら、私が天下を取れた」と嘆いたと伝わる。秀吉が「自分の次は官兵衛が天下を取る」と警戒したとおり、その野望は本物だった。
─ 完 ─
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