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PERSON
黒田清輝
黒田清輝
日本近代洋画の父・「湖畔」「読書」
1866-1924 · 享年 58歳
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生涯
1866年、薩摩国鹿児島城下東千石馬場町に薩摩藩士・黒田清兼の長男として生まれた。後に伯父・子爵黒田清綱の養子となる。1884年、法律家を目指して18歳でフランスに留学したが、パリでアカデミスムの画家ラファエル・コランと出会い画家を志す。コランの私塾に入り、外光派の明るい色彩と写実的描写を学んだ。1893年、9年間のフランス滞在を終えて帰国、同年代表作「朝妝(ちょうしょう)」を制作。1896年、東京美術学校(現・東京藝術大学)に西洋画科が新設されると久米桂一郎とともに主任教授に就任、藤島武二・岡田三郎助・青木繁・和田英作・藤田嗣治など日本近代洋画を担う画家たちを育てた。同年、美術団体「白馬会」を創設、日本に外光派(明るい印象派的表現)を定着させ旧派の「明治美術会」と対立した。1897年の「湖畔」(妻の照子を箱根芦ノ湖畔に描く)は日本の近代絵画の代表作として1999年重要文化財指定。1910年、帝国美術院会員、1920年、貴族院議員(子爵として勅選)。1924年、東京で58歳で没。
人物像
薩摩士族の血を引く温厚篤実な人物。フランス仕込みの洗練されたマナーと、日本の伝統的な礼儀作法を兼ね備え、後進の画家たちから「黒田先生」と敬愛された。芸術家でありながら、伯父・清綱の爵位を継ぎ貴族院議員も務めた社会的名士。妻・照子は芸者出身で、黒田の正妻となり「湖畔」のモデルとしても知られる。
歴史的意義
黒田は「日本近代洋画の父」として、西洋油彩画の技術と美学を日本に体系的に導入した最大の功労者。弟子筋には日本洋画の巨匠が並び、彼の開いた白馬会・東京美術学校西洋画科は日本洋画史の主流となった。代表作「湖畔」「読書」「智・感・情」(いずれも重要文化財)は日本近代美術の古典として教科書に掲載される。東京国立博物館に隣接する黒田記念館(旧黒田子爵邸)は彼の遺言に基づき設立され、代表作を常設展示。
逸話・エピソード
1897年——箱根芦ノ湖で「湖畔」を描く
1897年夏、黒田は避暑のため妻・照子を連れて箱根芦ノ湖畔の宿に滞在。浴衣姿で団扇を手に湖を見つめる照子の姿に惹かれ、その場で油彩に描き起こした。明るい淡青の水面、白い浴衣、気品ある横顔——西洋の外光派技法で日本の情景を描いた代表作「湖畔」が誕生。翌1898年の第2回白馬会展に出品され絶賛を浴びた。現在は東京国立博物館・黒田記念館に常設展示されている。
1896年——東京美術学校に西洋画科を新設
岡倉天心が主導する東京美術学校は当初、日本画・木彫・鋳金・漆工など伝統技法のみを教えていた。1896年、文部省は洋画教育の必要性を認めこれを拡充、黒田清輝・久米桂一郎を主任教授として西洋画科を新設した。黒田はコラン直伝の外光派技法を体系的にカリキュラム化、藤島武二・和田英作・青木繁・藤田嗣治など数多くの巨匠を輩出した。日本洋画の主流「アカデミスム系外光派」はここに確立された。
─ 完 ─
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