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PERSON
草間彌生
草間彌生
前衛の女王、水玉と無限の網
1929-
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生涯
1929年(昭和4年)3月22日、長野県松本市に種苗業を営む裕福な家庭の長女として生まれた。10歳頃から幻覚・幻聴に悩まされ、見えるものをスケッチすることで自己を保った。「水玉」と「網」のモチーフはこの時期の幻覚体験から来ている。1948年京都市立美術工芸学校(現・京都市立芸術大学)で日本画を学ぶも、保守的な日本美術界に絶望。1957年米国シアトルでの個展を経て、1958年単身ニューヨークに渡る。1959年マンハッタンのブラタ・ギャラリーで5メートル近い大作『無限の網』連作を発表、ドナルド・ジャッド、フランク・ステラ、ジョセフ・コーネルら米国前衛芸術家から絶賛を受け、1960年代「前衛の女王」と呼ばれた。ハプニング(裸体パフォーマンス)、ソフト・スカルプチャー(男根状の縫い物作品)、鏡と電球で無限を表現する『無限の鏡の間』など、ジャンル横断の革新作を量産。1966年ヴェネツィア・ビエンナーレに無許可で『ナルシスの庭』を出品し物議を醸した。1973年精神を病み日本へ帰国、東京・新宿の精神科病院に通院しながらアトリエを構え、現在まで創作活動を続ける。2017年新宿に草間彌生美術館開館、2023年3月にはルイ・ヴィトンとのコラボレーションで世界中の店舗が水玉に染められた。生存中の女性アーティストとして世界最高水準の作品価格・国際的影響力を持つ。
人物像
生涯にわたる精神疾患(強迫神経症・自殺願望)と闘いながら、創作することで自己を救済し続ける闘士。「水玉」「網」「無限」「死」「愛」を全力で追求する一途さと、世界的成功を収めても自らを「精神病者」と公言する透徹した自己認識を併せ持つ。創作・発表・自己プロデュース全てに関わる希有なエネルギー、そして「もし芸術がなかったら、私はとっくに死んでいた」と語る切実さ。
歴史的意義
21世紀の現代美術における日本最大のスター。ルイ・ヴィトン、コム・デ・ギャルソンとのコラボレーション、世界中の美術館での大型個展(テート・モダン、ホイットニー美術館、ハーシュホーン博物館、グッゲンハイム美術館、森美術館など)、無限の鏡の間(インフィニティ・ミラー・ルーム)の世界的人気、屋外彫刻『南瓜』(直島・松本・新潟など)が世界的観光地化など、20世紀後半から21世紀にかけて日本美術を世界に最も知らしめた存在。2017年に開館した草間彌生美術館(東京新宿)、長野県松本市美術館の常設展示が代表的な施設。2009年文化勲章、2016年フランス芸術文化勲章コマンドゥール、2021年ベラスケス造形芸術賞など世界的栄誉多数。
逸話・エピソード
1959年——ニューヨークでの『無限の網』
1959年、29歳の草間はマンハッタンのブラタ・ギャラリーで初の本格個展を開催。展示された『無限の網(Infinity Net)』連作は、白いキャンバスに白い絵具で網目模様を埋め尽くす、ほぼ抽象表現主義の極北とも言える大作(最大5メートル)。当時の主流であった抽象表現主義(ジャクソン・ポロック等)と一線を画す独自性が即座に評価され、批評家ドナルド・ジャッドが「マーク・ロスコ以来の重要な発見」と絶賛、自ら作品を購入した。フランク・ステラ等からも称賛を受け、1960年代の「前衛の女王」としての地位を確立した。
直島の南瓜——世界的観光地化
1994年、香川県直島町(瀬戸内海)の海辺に高さ2m・直径2.5mの巨大な水玉模様の『南瓜』(黄色の屋外彫刻)が設置され、現代美術の聖地・直島の象徴となった。2021年8月に台風で流失したが、修復され2022年再設置。世界中から年間数十万人が訪れ、SNSの拡散もあり「クサマヤヨイの南瓜」は日本現代美術の代名詞となった。同種の作品は長野県松本市・新潟県越後妻有・香港・ニューヨーク・北京などにも設置されている。「私にとって南瓜は、最も愛らしい、最も親しみのある形」と草間は語る。
─ 完 ─
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