1827年、シーボルトと長崎丸山の遊女・楠本タキの娘として長崎に生まれた。父はイネ2歳の時に国外追放となり、以後は母と祖母に育てられた。父の弟子で宇和島藩医・二宮敬作、次いで幕末に来日したオランダ海軍軍医ポンペに西洋医学と産科を学ぶ。日本人女性が正規の西洋医学を学んだ最初期の一人である。1862年、長崎養生所で人体解剖を見学——日本女性初。1873年、明治天皇の側室・葉室光子の出産に立ち会う(死産)。その後宮内省御用掛として宮中女官の医療を担当した。晩年は東京で産科医院を開業、1903年に77歳で没した。日本人女性医師の先駆として、また激動の時代を生き抜いた女性として記憶されている。