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PERSON
楠本イネ
楠本イネ
日本初の女性産科医
1827-1903 · 享年 76歳
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生涯
1827年、シーボルトと長崎丸山の遊女・楠本タキの娘として長崎に生まれた。父はイネ2歳の時に国外追放となり、以後は母と祖母に育てられた。父の弟子で宇和島藩医・二宮敬作、次いで幕末に来日したオランダ海軍軍医ポンペに西洋医学と産科を学ぶ。日本人女性が正規の西洋医学を学んだ最初期の一人である。1862年、長崎養生所で人体解剖を見学——日本女性初。1873年、明治天皇の側室・葉室光子の出産に立ち会う(死産)。その後宮内省御用掛として宮中女官の医療を担当した。晩年は東京で産科医院を開業、1903年に77歳で没した。日本人女性医師の先駆として、また激動の時代を生き抜いた女性として記憶されている。
人物像
意志強固にして粘り強い。混血という出自への偏見、女性医師への偏見、父の事件の余波という三重の逆境を、生涯をかけて跳ね返した。父譲りの学問への誠実さと、母から受け継いだ芯の強さを併せ持った。
歴史的意義
イネは「日本人女性医師第一号」(正規免許取得は後の荻野吟子)として歴史に残り、特に産科医としての実績は後進の女性医師たちに道を開いた。混血女性という二重のマイノリティとして19世紀日本社会を生き抜いた彼女の人生は、近年フェミニズムの観点からも再評価されている。長崎のシーボルト記念館、宇和島の二宮敬作関連施設などで顕彰されている。小説・ドラマでも繰り返し取り上げられ、幕末明治期を象徴する女性として文化的記憶に刻まれている。
逸話・エピソード
二宮敬作とポンペに学ぶ
父を失ったイネは、父の愛弟子で宇和島藩医となっていた二宮敬作を頼って伊予宇和島に移り、医学を学んだ。その後長崎に戻り、幕府が招聘したオランダ海軍軍医ポンペの開いた医学伝習所で産科を修めた。ポンペはイネの才能を高く評価し、1862年には日本女性として初めて人体解剖に立ち会わせた。女性が医学を学ぶこと自体が前例のなかった時代、イネの道行きは一歩一歩が歴史の初頁であった。
1873年——宮中に入った混血の娘
1873年、明治天皇の側室・葉室光子の出産にあたり、イネは宮中に召された。当時宮中は外国人との血縁に対して厳格であり、混血女性のイネが宮中の出産に立ち会うのは異例中の異例であった。福澤諭吉ら開明派の推挙と、ポンペ門下で鍛えた産科の実力が評価された結果であった。出産は死産、光子も4日後に死去する悲劇に終わるが、宮内省はイネに破格の100円を下賜した。父の国外追放から45年、娘は宮中の奥深くで父祖の医学を生かした。
─ 完 ─
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