鎌倉末期・南北朝時代の武将。河内国の豪族として生まれ、1331年の元弘の乱で後醍醐天皇の倒幕運動に呼応して挙兵した。千早城・赤坂城などの山城に籠もり、圧倒的な幕府軍に対してゲリラ的な奇策を駆使して抵抗を続け、倒幕の機運を高めた。建武の新政では天皇から厚い信頼を得たが、足利尊氏の離反により情勢が一変。1336年の湊川の戦いでは、圧倒的不利を悟りながらも退かず、弟・正季と刺し違えて壮絶な最期を遂げた。享年43歳。「七生報国」(七たび生まれ変わっても国に報いる)の言葉が後世に伝わり、忠臣の象徴とされた。明治時代には大楠公として顕彰され、各地に楠木正成の像が建立された。