1294年頃、河内国(大阪府)赤坂の武将の家に生まれた。出自は楠木一族の棟梁であるが、それ以前の詳細は不明。1331年、後醍醐天皇の倒幕の呼びかけに真っ先に応じて挙兵した。幕府軍が圧倒的な兵力で攻め寄せる中、赤坂城・千早城での巧みなゲリラ戦で大軍を足止めし、奇策で幕府の権威を傷つけた。千早城の戦い(1333年)では百騎足らずで数万の幕府軍を約100日間釘付けにし、鎌倉幕府滅亡に大きく貢献した。建武の新政(1333年)後は後醍醐天皇を補佐して朝廷の軍事指揮を担った。しかし足利尊氏が離反して新政が崩壊し始めると、1336年に九州から上洛してくる尊氏軍を迎撃するため湊川(兵庫)に陣を張った。幕府軍・新田義貞と連携した作戦が齟齬をきたし、正成は圧倒的に不利な状況の中でも天皇の命に従い出陣。弟・正季と「七生報国(七度生まれ変わっても国のために戦う)」を誓い合い、一族郎党と共に壮絶な討死を遂げた。享年42歳とされる。