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PERSON
空也
空也
市聖・念仏を民衆に広めた遊行僧
903-972 · 享年 69歳
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生涯
延喜3年(903年)に生まれたとされるが出自には諸説あり、醍醐天皇の皇子という説もある。若くして出家し、諸国を遍歴しながら道路・橋の整備や井戸掘りなどの社会事業を行い、口称念仏「南無阿弥陀仏」を民衆に広めた。京の市(いち)で念仏を唱えたことから「市聖(いちのひじり)」「市上人」と呼ばれた。天暦5年(951年)京都に疫病が流行した際、十一面観音を刻んだ車を引いて念仏を唱えながら市中を巡り、病の平癒を祈った。これが六波羅蜜寺の起源とされる。天禄3年(972年)70歳で没した。
人物像
寺院にとどまらず街頭に出て民衆とともに念仏を唱えた先駆的行者。社会事業と信仰実践を一体化させ、庶民の救済に生涯を捧げた。
歴史的意義
六波羅蜜寺は西国三十三所第十七番札所として今も信仰を集める。運慶の子・康勝作の空也上人立像(重文)は口から六体の小仏が出る姿で知られ、日本彫刻の傑作として名高い。法然・一遍に先立つ念仏布教の先駆者として仏教史に位置づけられる。
逸話・エピソード
空也と「南無阿弥陀仏」——市聖・空也と民衆念仏の普及
空也は平安中期の僧侶で、市場や街頭で踊念仏を行い民衆に念仏を広めた「市聖」「阿弥陀聖」として知られる。飢饉や疫病で亡くなった人々の遺骸を収容・供養し、社会的弱者への慈善活動を行った。念仏を民衆に普及させた先駆者として法然・一遍に大きな影響を与え、「踊念仏」の原型を作った。空也の姿を表した六波羅蜜寺の「空也上人立像」は口から六体の阿弥陀仏が飛び出す有名な造形で知られる。
─ 完 ─
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