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PERSON
教如
教如
東本願寺開基
1558-1614 · 享年 56歳
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生涯
1558年、本願寺第11世・顕如の長男として生まれた。石山合戦では強硬派を率い、1580年に父・顕如が正親町天皇の勅命により織田信長との和睦を受諾して石山本願寺を退去した際も、教如は徹底抗戦を主張し石山に籠もり続けた。やがて信長が本能寺の変で横死したことで和睦が成立し、教如は父に赦された。1592年に顕如が没すると一度は本願寺を継いだが、豊臣秀吉は強硬派である教如を嫌い、わずか1年足らずで弟の准如に法主の座を譲ることを強いた。しかし1602年、徳川家康は教如に京都烏丸七条の地を寄進し、「東本願寺(大谷派)」の創立を認めた。これにより浄土真宗本願寺派は東西に分裂し、現在に至るまで続く二大教団体制が成立した。これは家康による本願寺勢力の分断という政治的策略でもあり、宗教勢力の力を削ぐ見事な一手であった。
人物像
強硬にして不屈。信長という戦国最強の敵に最後まで抵抗し続けた信念の人。父・顕如の和睦方針にも逆らう独立独歩の気質で、一度決めたことは曲げない頑固さを持っていた。一方で家康との政治的な駆け引きには応じる柔軟さも併せ持ち、東本願寺という新たな教団を一代で築き上げる政治力も示した。
歴史的意義
東本願寺(真宗大谷派)の開祖として、現在に至る浄土真宗の東西分裂体制を作り上げた。京都の東本願寺(お東さん)は今も真宗大谷派の本山として、全国約8,600の末寺を擁する巨大教団の中心である。家康の分断策に乗せられた側面もあるが、結果として独立した教団として独自の発展を遂げ、江戸期を通じて民衆信仰を支え続けた。
逸話・エピソード
石山合戦の強硬派——父と袂を分かつ
1580年、10年続いた石山合戦の末に父・顕如は正親町天皇の勅命による和睦を受け入れ、石山本願寺を退去した。しかし23歳の教如は和睦に反対し、一部の門徒と共に石山に籠もり続けた。「信長との和睦は門徒の血を裏切ることになる」と主張し、父と袂を分かった。その後も数ヶ月にわたって信長軍と対峙したが、最終的には退去を余儀なくされた。この強硬姿勢が後の東西分裂の伏線となる。
家康との巧みな関係構築
秀吉によって本願寺法主の座を弟・准如に奪われた後、教如は雌伏の時を過ごしたが、関ヶ原の戦い(1600年)で勝利した徳川家康に接近した。家康もまた、本願寺の巨大な宗教勢力を一つにまとめさせず分断しておきたいという政治的思惑があり、両者の利害は一致した。1602年、家康は京都烏丸七条の地を教如に寄進。これにより東本願寺が創建された。教如の我慢強さと家康の政治眼が生み出した歴史的な宗教分裂である。
東本願寺の創立——1602年の分裂
1602年、教如は徳川家康から寄進された京都烏丸七条の地に東本願寺(真宗大谷派本山)を開いた。以後、浄土真宗本願寺派は西本願寺(准如の系統)と東本願寺(教如の系統)に分かれ、四百年を経た現在もこの体制が続いている。京都駅の目前に「お東さん」と「お西さん」が並んで建つ光景は、石山合戦から続くこの歴史的分裂の結晶である。「信長に抵抗した強硬派」としての教如の人生は、最終的に一大教団の創始者として結実した。
名言
「父は退かれしも、我は退かず。門徒の血が流れる限り戦い抜く」
「家康公の恩に応えて、真宗の法灯を東に掲げん」
関連する歴史的事件
1570
石山合戦
1570年から1580年までの10年間続いた、織田信長と石山本願寺(顕如)の戦争。信長の天下統一事業の中で最も長く抵抗した勢力であった。大坂湾に面した石山本願寺(現在の大阪城の位置)は要害堅固な城塞と化し、毛利氏の海上補給、雑賀衆の鉄砲、全国の本願寺門徒の結束を背景に、信長軍を10年にわたり苦しめ続けた。1576年の第一次木津川口の戦いでは毛利水軍・雑賀衆が織田水軍を大破。1578年の第二次木津川口では九鬼嘉隆の鉄甲船により形勢逆転したが、なお本願寺は持ちこたえた。最終的に1580年、正親町天皇の勅命による和睦で終結し、顕如は石山を退去した。しかし長男・教如は徹底抗戦を主張し父と袂を分かつ。この家族内対立は、後の1602年の東西本願寺分裂に繋がる伏線となった。
ゆかりの地 — 1
東本願寺
京都府
慶長7年(1602年)、教如は徳川家康から烏丸七条の地を寄進され、東本願寺を創立した。父・顕如の代に結ばれた織田信長との石山講和(天正8年・1580年)に対し、教如は徹底抗戦を主張して父と義絶状態となり、その後も豊臣秀吉政権下で不遇をかこった強硬派であった。関ヶ原後、家康は本願寺教団の勢力分断を図って教如に新たな本山を与えたが、それは同時に和議を拒んだ教如の生涯の信念に応える形となった。東本願寺(お東)の本山として、教如が「強硬派の本願寺」を確立したことで、本願寺教団は東西に分立し、現在に至る真宗大谷派の礎が築かれた。
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