フロイスは1569年に初めて織田信長と京都で会見した。フロイスの記録によれば、信長は「中くらいの背丈で、華奢な体躯」であり、「名誉心に富み、決断力が鋭く、戦術に極めて長じていた」。また信長は神仏を信じず、合理的な思考の持ち主であったと記している。フロイスの描写は日本側の史料とも一致する部分が多く、信長の実像を知る上で最も信頼性の高い外国人の証言とされている。
フロイスは1575年の長篠の戦いについても記録を残した。織田・徳川連合軍が武田勝頼の騎馬軍団に対して大量の鉄砲を用いて勝利したこの戦いについて、フロイスは鉄砲の威力と戦術的な運用について詳細に記述した。ヨーロッパの火器戦術の知識を持つフロイスならではの視点で、日本の戦術革新を捉えた貴重な記録である。
フロイスは1585年頃に「日欧文化比較」を著した。ヨーロッパと日本の風俗・習慣を600以上の項目にわたって対比したもので、「ヨーロッパでは女性が前を歩き男性が後に従うが、日本では逆である」「ヨーロッパ人はパンを食べるが、日本人は米を食べる」といった具体的な比較が並ぶ。文化人類学的な視点を先取りした作品として、現代でも高く評価されている。