1547年、尾張国(現愛知県)の武士・篠原一計の娘として生まれた。幼名は「まつ」。12歳のとき、織田信長の家臣として頭角を現しつつあった前田利家に嫁いだ。利家は槍の名手として信長に仕えて各地を転戦し、まつは各地の拠点でひとり家を守り続けた。二人の間には2男9女の子に恵まれ、長女・永姫は織田信長の三男・信雄に嫁ぐなど、子女たちの婚姻政策が前田家の政治的地盤を大きく強化した。四女・豪姫は秀吉の養女となり宇喜多秀家に嫁いだ。1599年に利家が病没すると、家康との緊張が急速に高まった。家康が利長(長男)の謀反を疑い圧力をかける中、まつは家族を守るために自ら江戸に赴き人質になることを申し出るという、前代未聞の決断を下した。この勇気ある行動は天下に広く伝わり、家康もその烈女ぶりに感服したと伝えられる。江戸では丁重な扱いを受けながらも14年間を過ごし、1614年に帰国。1617年、70歳で生涯を閉じた。法号は芳春院。