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PERSON
前野良沢
前野良沢
『解体新書』主任翻訳者
1723-1803 · 享年 80歳
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生涯
1723年、豊前中津藩の医師として生まれた。青年期から蘭学に関心を持ち、47歳で蘭学の先駆者・青木昆陽に弟子入りして本格的にオランダ語を学び始めた。さらに長崎遊学により語学力を高めた。1771年、江戸千住小塚原での刑死人解剖(腑分け)に立ち会い、オランダ語解剖書『ターヘル・アナトミア』の正確さに衝撃を受ける。翌日から杉田玄白・中川淳庵らと翻訳作業を開始、4年の苦闘を経て1774年に『解体新書』を刊行した。しかし訳文の不完全さを恥じた良沢は自らの名を表紙から外し、玄白のみが記された。以後も蘭学研究に没頭し、生涯独学で語彙を増やし続けた。1803年、81歳で没。
人物像
真摯にして完璧主義。不完全な仕事に自分の名を付けることを拒む潔癖さを持つ一方、47歳から外国語を学び始める晩学の情熱の人。学問のために名利を捨てる典型的な江戸知識人の理想像。寡黙で一人学問に没頭するタイプだったとされる。
歴史的意義
『解体新書』は西洋医学の本格的日本紹介の画期となり、以後の蘭学・医学の発展の基礎となった。「神経」「軟骨」「動脈」など現代も使われる医学用語の多くは良沢・玄白らの造語である。玄白が自著『蘭学事始』で良沢を「解体新書の主任翻訳者」と明記したため、後世その功績は正当に評価されるに至った。蘭学史において地味だが最も重要な人物の一人として再評価が進んでいる。
逸話・エピソード
小塚原の衝撃——解剖書が正しかった
1771年3月4日、良沢・玄白・淳庵は江戸小塚原刑場で女囚「青茶婆」の腑分けに立ち会った。それまで漢方の五臓六腑説を信じてきた三人は、持参したオランダ語解剖書『ターヘル・アナトミア』の図と人体内部が完全に一致することに愕然とした。帰路、三人は「この本を日本語に訳して、同胞に真の解剖を知らしめねばならぬ」と誓い合った。翌日から翻訳作業が始まる。蘭学史上最も有名な場面である。
表紙から名を消す——恥と誇りの翻訳者
4年の苦闘を経て完成した『解体新書』。実質的な主任翻訳者は最もオランダ語に通じた良沢であったが、彼は訳文にまだ誤りや不完全な点があると考え、「こんな未熟な仕事に名を連ねるのは恥である」と自ら表紙から名を外した。結果、世間では長く「解体新書は杉田玄白の訳」と誤解された。玄白は晩年『蘭学事始』で真相を明かし、良沢の功績を後世に伝えた。学問への誠実さと名誉を求めぬ姿勢は、江戸期学者の理想を体現している。
─ 完 ─
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