会津の悲劇——松平容保と白虎隊が象徴する幕末の義と敗者の涙
松平容保は会津藩主として1862年に京都守護職を拝命し、新選組を指揮して尊攘派の取り締まりを担った。孝明天皇からも厚く信頼されたが、明治維新後は逆賊とみなされた。1868年の戊辰戦争では白虎隊をはじめとする会津藩士が壮絶な戦いを繰り広げ、鶴ヶ城が落城した。会津若松藩の降伏後、容保は謹慎処分となり後に日光東照宮の宮司となった。「賊軍」として扱われた会津への同情と「義の会津」の精神は今も多くの日本人の心を動かし、毎年多くの人が鶴ヶ城・飯盛山を訪れる。