1559年、徳川家康の嫡男として生まれた。母は築山殿(瀬名姫)。幼少期から聡明で武勇にも優れ、徳川家の将来を担う若武者として将来を嘱望されていた。1568年に織田信長の娘・五徳と結婚し、織田・徳川同盟を血縁で結びつけた。武将としての資質は高く評価され、岡崎城主として三河衆の期待を一身に集めていた。しかし1579年、突然信長から信康の処断を求める書状が届き、家康はこれを受け入れて信康に切腹を命じた。信康は二俣城において21歳で自刃した。信康の死については、五徳が信長に送った密書が原因とする説、信康の素行が問題だったとする説など諸説ある。信康の死は徳川家にとって大きな悲劇であり、家康が最も後悔した出来事の一つとして伝えられている。嫡男の早世により、将軍職は次男・秀忠が継ぐことになった。