松平忠輝
松平忠輝
徳川家康六男・高田城主
1592-1683 · 享年 91歳
ま だ 出 会 っ て い ま せ ん
高田城を訪れると出会えます
ゆかりの地 1か所
松平忠輝を訪ねる
1 ヶ所
足跡をたどって、実際に巡る。
高田城
新潟県
すべて →
みんなの声
推しへの想い・おすすめ作品・豆知識を語り合おう。
ログインすると投稿できます
生涯
天正20年(1592年)、徳川家康の六男として生まれた。慶長15年(1610年)、堀忠俊の改易を受けて越後高田藩を与えられた。慶長3年(1598年)に伊達政宗の娘・五郎八姫と縁組し、慶長11年(1606年)に正式に婚姻。慶長19年(1614年)、天下普請により高田城の築城が開始され、義父・伊達政宗が普請総裁(総奉行)を務め、上杉景勝・前田利常ら周辺13大名が助役として動員された結果、3月15日の起工からわずか4ヶ月足らずの7月上旬に完成した。同年からの大坂の陣では、政宗の後援のもと大和口方面の総督を務めた。しかし軍法違反(味方の家臣を斬った、無断で陣を離れた等)を理由に、元和2年(1616年)、家康の死去直後に兄・徳川秀忠から改易を命じられ伊勢朝熊に流罪となった。その後飛騨高山を経て、寛永3年(1626年)から信濃諏訪で幽閉生活を送り、天和3年(1683年)、92歳で没した。
人物像
武勇に優れる一方で気性が激しく、独断専行の振る舞いが目立った。将軍秀忠との折り合いが悪く、その処遇は家康の死という後ろ盾を失った途端に暗転した。
歴史的意義
忠輝が築いた高田城は、天守を持たない代わりに三重櫓を備え、日本三大夜桜の一つに数えられる高田公園として現在も市民に親しまれている。忠輝自身は改易後67年にわたり配流の身であり続け、その数奇な生涯は「悲劇の貴公子」として語り継がれている。
さらに深く
家系図
1543-1616
徳川家康
江戸幕府初代将軍。
本人
松平忠輝
1592-1683
─ 完 ─
アプリで巡礼を楽しむ
アプリで見る