天正20年(1592年)、徳川家康の六男として生まれた。慶長15年(1610年)、堀忠俊の改易を受けて越後高田藩を与えられた。慶長3年(1598年)に伊達政宗の娘・五郎八姫と縁組し、慶長11年(1606年)に正式に婚姻。慶長19年(1614年)、天下普請により高田城の築城が開始され、義父・伊達政宗が普請総裁(総奉行)を務め、上杉景勝・前田利常ら周辺13大名が助役として動員された結果、3月15日の起工からわずか4ヶ月足らずの7月上旬に完成した。同年からの大坂の陣では、政宗の後援のもと大和口方面の総督を務めた。しかし軍法違反(味方の家臣を斬った、無断で陣を離れた等)を理由に、元和2年(1616年)、家康の死去直後に兄・徳川秀忠から改易を命じられ伊勢朝熊に流罪となった。その後飛騨高山を経て、寛永3年(1626年)から信濃諏訪で幽閉生活を送り、天和3年(1683年)、92歳で没した。