1510年頃、出自不詳ながら三好長慶に仕えて頭角を現し、大和国(奈良県)の支配を確立するまでに成り上がった戦国の梟雄。1565年に将軍・足利義輝を三好三人衆と共に暗殺したとされ(諸説あり)、また1567年に三好三人衆との戦いの中で東大寺大仏殿が炎上した(直接の原因については議論がある)。これら二つの行為が信長に「天下の三悪事」と評された。1568年に信長が上洛すると臣従し、以後一時は重用された。しかし1577年に第一次謀反を起こし降伏、再び臣従した。1579年、信貴山城(奈良)に拠った第二次謀反で信長軍に包囲された際、信長が所望していた名器「平蜘蛛の茶釜」を差し出すよう求められたが、「平蜘蛛は渡さぬ」と拒否し、茶釜を叩き割るなどして爆死(または自刃)したという逸話は後世に語り継がれた。享年69歳頃。茶の湯の愛好者としても知られ、所持した名器の数々は今日も伝わる。松永久秀が居城とした信貴山城跡(奈良県平群町)には今も訪問者が訪れ、「梟雄」として名高いその波乱の生涯を偲ぶことができる。