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PERSON
藤原道長
藤原道長
摂関政治の頂点・望月の歌
966-1028 · 享年 62歳
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生涯
平安時代中期の公卿・政治家。藤原兼家の五男として生まれながら、兄たちの相次ぐ死によって藤原氏の頂点に立った。4人の娘を天皇や皇太子の后・妃として入内させ、外祖父として天皇を後見する摂関政治を極めた。正式には関白・太政大臣の地位を得たのは晩年だが、実質的には20年以上にわたって朝廷の最高権力者として君臨した。1018年(寛仁2年)、三人目の娘・威子が中宮に立てられた際に詠んだ「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」は、政治的絶頂を詠んだ歌として日本史上最も著名な和歌の一つ。紫式部・和泉式部ら才女を後宮に集め、「源氏物語」成立の後援者でもあった。晩年は出家して法成寺を建立。62歳で没。
人物像
権謀術数に長けた政治家でありながら、和歌を愛する文化人でもあった。娘たちを巧みに入内させる政略は冷徹だが、日記「御堂関白記」には人間的な感情も記されている。権力の絶頂にあっても仏教への信仰を深めた。
歴史的意義
摂関政治の最盛期を体現した人物。「望月の歌」は現代の教科書にも掲載され続ける。宮廷文化の庇護者として「源氏物語」をはじめとする平安文学の開花を支えた。「御堂関白記」は世界記憶遺産に登録されている。
逸話・エピソード
望月の歌——権力の絶頂で詠んだ平安最高の権力者の辞世
1018年(寛仁2年)、藤原道長は三女・威子が後一条天皇の中宮に立てられた宴席で、「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んだ。娘三人が同時に天皇・皇太子の后となり、外祖父として朝廷の最高実力者となった満足感を詠んだ歌であり、「望月のかける」(満月に欠けるものなし=完全な権力の支配)という表現が彼の権勢の象徴とされる。この歌は現代の高校日本史・国語の教科書にも必ず掲載される。
ゆかりの地 — 3
興福寺
奈良県
興福寺は藤原氏の氏寺であり、その盛衰は摂関政治の興隆と軌を一にした。藤原道長は「望月の歌」で世を謳歌した権力の絶頂においても、氏寺・興福寺と氏神・春日大社への崇敬を欠かさなかった。摂関家の庇護により五重塔や中金堂が整備され、南都仏教の拠点として栄えた。
春日大社
奈良県
春日大社は藤原氏の氏神として、藤原道長をはじめとする藤原摂関家の権力と不可分に結びついていた。道長は「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んだ権力の絶頂期、春日大社への崇敬を政治的な正統性の源として活用した。隣接する興福寺(藤原氏の氏寺)とともに、奈良における藤原氏の精神的基盤を形成した。
平等院
京都府
永承7年(1052年)、藤原道長の長男・頼通が父の別荘を寺に改め平等院を創建した。この年は仏滅から2000年が経過するという「末法元年」にあたり、浄土への強い憧憬が鳳凰堂建立を促した。道長の「望月の歌」が詠まれた権力の頂点から、その子が末法思想に揺れる時代への変化を、この寺は象徴する。
─ 完 ─
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