和歌山に生まれた熊楠は、子供の頃から百科事典を丸暗記するような記憶力の怪物だった。東京大学予備門(後の東京帝国大学)に進んだが馴染めず中退。21歳で単身渡米し、以後14年間にわたってアメリカ・キューバ・イギリスを放浪しながら独学で世界的な博物学者となった。ロンドン滞在中(1892〜1900年)は大英博物館の東洋図書室に入り浸り、英語・ラテン語・中国語・サンスクリット語など18言語を操りながら膨大な写本を読み漁った。ネイチャー誌への投稿論文は英日合わせて50本以上に達した。しかし大英博物館で同僚の腕を噛むなどのトラブルで追い出され、帰国後は和歌山県田辺市の山中に隠棲。熊楠の生涯最大の熱情は粘菌(変形菌)の研究で、1万点以上の標本を採集し、新種を多数発見した。1910年代には神社合祀(じんじゃごうし)反対運動を全国に先駆けて展開。神社を統廃合して鎮守の森を伐採しようとした明治政府の政策に対し、生態系と民俗文化の破壊として正面から反論し、「エコロジー」の概念を日本に先駆けて提唱した先駆者でもあった。1929年には昭和天皇(当時は皇太子)と植物採集で会見し、粘菌の標本を献上した。その奇人ぶりと博識は「南方曼陀羅」という独自の世界観に結実している。