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PERSON
南方熊楠
南方熊楠
「知の巨人」・18言語を操り粘菌を愛した世界的博物学者
1867-1941 · 享年 74歳
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生涯
和歌山に生まれた熊楠は、子供の頃から百科事典を丸暗記するような記憶力の怪物だった。東京大学予備門(後の東京帝国大学)に進んだが馴染めず中退。21歳で単身渡米し、以後14年間にわたってアメリカ・キューバ・イギリスを放浪しながら独学で世界的な博物学者となった。ロンドン滞在中(1892〜1900年)は大英博物館の東洋図書室に入り浸り、英語・ラテン語・中国語・サンスクリット語など18言語を操りながら膨大な写本を読み漁った。ネイチャー誌への投稿論文は英日合わせて50本以上に達した。しかし大英博物館で同僚の腕を噛むなどのトラブルで追い出され、帰国後は和歌山県田辺市の山中に隠棲。熊楠の生涯最大の熱情は粘菌(変形菌)の研究で、1万点以上の標本を採集し、新種を多数発見した。1910年代には神社合祀(じんじゃごうし)反対運動を全国に先駆けて展開。神社を統廃合して鎮守の森を伐採しようとした明治政府の政策に対し、生態系と民俗文化の破壊として正面から反論し、「エコロジー」の概念を日本に先駆けて提唱した先駆者でもあった。1929年には昭和天皇(当時は皇太子)と植物採集で会見し、粘菌の標本を献上した。その奇人ぶりと博識は「南方曼陀羅」という独自の世界観に結実している。
人物像
天才的な記憶力と無尽蔵の好奇心を持ちながら、権威・制度・常識を意に介さない破天荒な性格。怒りっぽく、喧嘩も辞さないが、自然への愛と弱者への共感は本物だった。18言語を操りながら田辺の山中で粘菌を追う姿は、知と野生が同居した唯一無二の存在を象徴する。
歴史的意義
粘菌研究は今も世界的に評価され、熊楠が採集した標本は現代科学の重要なアーカイブとなっている。神社合祀反対運動は日本の環境保護思想の先駆けとして再評価されている。「南方熊楠顕彰館」(和歌山県田辺市)は彼の業績と膨大なコレクションを収蔵し、多くの研究者が今も訪れる。
逸話・エピソード
南方マンダラと神社合祀反対運動——南方熊楠の博物学と自然保護
南方熊楠は独学で粘菌学・民俗学・博物学を修め、ロンドン大英博物館での研究成果が英国科学誌「ネイチャー」に複数掲載された。帰国後の1906年に「神社合祀令」に反対し、鎮守の森の生態学的価値を説いて自然保護を訴えた。これは日本で最初期の環境保護運動の一つとされる。また天皇(昭和天皇)に粘菌を献上するという異例の経緯で知られ、「巨人」「奇人」として伝説的存在となった。
名言
「知ることに終わりはない。宇宙は図書館であり、人の一生は短すぎる」
「粘菌の一生に、宇宙の法則が詰まっている」
この人物のクイズ
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日本史力診断テストで出題されます
─ 完 ─
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