1204年生まれ、三浦義村の嫡男として三浦氏を継いだ。父ほどの策謀の才はなく、温厚で義理堅い人柄とされる。鎌倉幕府内では四代将軍・藤原頼経と親しく交わり、その取り巻きとして反北条の機運を背負う存在と目されるようになった。1244年に頼経が執権・北条経時により将軍職を解かれると、泰村ら反北条勢力への圧力は一層強まった。1247年、五代執権・北条時頼は安達景盛と謀り三浦氏討伐を決意した(宝治合戦)。泰村は奇襲を受け十分な軍備も整えられないまま、鎌倉の若宮大路から法華堂に追い詰められ、弟・光村ら一族500余名とともに自害して果てた。この宝治合戦は鎌倉幕府草創期以来の有力御家人・三浦氏を完全に滅亡させ、以後の幕府は北条得宗家による独裁体制が確固として成立した。享年44歳。