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PERSON
三浦義村
三浦義村
策略の御家人
1168-1239 · 享年 71歳
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生涯
1168年生まれ、三浦義澄の嫡男として三浦半島の雄族を継いだ。北条義時とは同世代で若い頃から盟友関係にあった一方、常に権力の中枢に接近し自氏の利益を最大化する老獪な策士でもあった。1213年の和田合戦では、長年の同僚であった和田義盛の挙兵計画を事前に察知しながら北条方に寝返り、義盛を壊滅に追い込んだ。1219年の実朝暗殺では、実行犯・公暁を匿おうとしたとも利用しようとしたとも言われ、義村の関与や黒幕説は今も論争が続く。承久の乱(1221年)では幕府方として従軍し、上洛軍に参陣して戦後の恩賞を確保した。これら一連の政治的勝利によって三浦氏の所領と勢力は幕府屈指の規模に達した。しかしその権勢は次代・泰村の代に北条得宗家との確執を生み、宝治合戦(1247年)で三浦氏は滅亡することとなる。1239年に72歳で没。
人物像
冷徹で老獪な策略家。味方すら裏切る冷酷さを持ちながら、常に勝ち馬に乗る嗅覚に優れていた。大河ドラマでも「友を売り、甥を使い捨てる男」として描かれた。
歴史的意義
三浦氏の全盛期を築いた策略家。しかしその権勢は子の泰村の代に北条氏との対立を招き、宝治合戦で三浦氏は滅亡することになる。
逸話・エピソード
実朝暗殺と三浦義村の黒幕疑惑
1219年、三代将軍・源実朝が鶴岡八幡宮で甥の公暁に暗殺された。公暁は「父の仇(頼家の仇)を討った」と叫んだが、直後に三浦義村の使いの者に斬殺された。なぜ義村は公暁を匿うよう事前に連絡を受けながら、直後に公暁を殺させたのか。義村自身が公暁を操って実朝を暗殺させ、その後証拠を消すために公暁を抹殺したという黒幕説が現代まで続いている。真相は不明だが、義村はこの暗殺後も幕府内で生き残り、むしろ権勢を拡大した。
─ 完 ─
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