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PERSON
三浦義澄
三浦義澄
相模の大御家人
1127-1200 · 享年 73歳
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生涯
1127年、三浦半島を本拠とする三浦一族の一員として生まれた。父・義明は1180年、源頼朝の挙兵に応じて衣笠城に籠城し、一族の脱出を助けるために討ち死にした。義澄は安房に渡って頼朝と合流し、以後の石橋山の挽回戦から一貫して頼朝の側近として従軍した。富士川の戦い・一ノ谷の戦い・奥州藤原氏討伐にも参陣し、着実に幕府草創の功績を重ねた。1192年の幕府開設後は有力御家人として重用され、相模国の有力な政治基盤を固めた。1199年に頼朝が急逝すると、混乱する幕府を安定させるために設置された十三人の合議制の一員に選ばれ、幕府の集団指導体制を支えた。1200年に74歳で没した。
人物像
武勇に優れ、忠義心が厚い武将。父の戦死にも動じず冷静に行動し、頼朝からの信頼が厚かった。三浦一族の結束を重んじる家長でもあった。
歴史的意義
三浦氏を鎌倉幕府の有力御家人に押し上げた。十三人の合議制の一員として幕府草創期の政治に参画し、三浦一族の繁栄の基盤を築いた。
逸話・エピソード
衣笠城の決死の籠城——父・義明の死と義澄の脱出
1180年8月、源頼朝が挙兵した直後に平家方の大軍が三浦半島に迫った。三浦義澄の父・義明は「老齢の身は一族の脱出のための盾となる」と決意し、衣笠城に籠城して敵を引きつけた。義澄ら一族は義明の捨て身の籠城のおかげで海路・安房へ脱出することができた。義明はその後討ち死にした。父の自己犠牲によって一族の命と頼朝への参陣が実現し、三浦氏が鎌倉幕府の大御家人となる基盤が築かれた。
─ 完 ─
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