1127年、三浦半島を本拠とする三浦一族の一員として生まれた。父・義明は1180年、源頼朝の挙兵に応じて衣笠城に籠城し、一族の脱出を助けるために討ち死にした。義澄は安房に渡って頼朝と合流し、以後の石橋山の挽回戦から一貫して頼朝の側近として従軍した。富士川の戦い・一ノ谷の戦い・奥州藤原氏討伐にも参陣し、着実に幕府草創の功績を重ねた。1192年の幕府開設後は有力御家人として重用され、相模国の有力な政治基盤を固めた。1199年に頼朝が急逝すると、混乱する幕府を安定させるために設置された十三人の合議制の一員に選ばれ、幕府の集団指導体制を支えた。1200年に74歳で没した。