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PERSON
宮城道雄
宮城道雄
「春の海」——盲目の箏曲家・新日本音楽の旗手
1894-1956 · 享年 62歳
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生涯
1894年(明治27年)4月7日、兵庫県神戸市に生まれた。生後200日ほどで目を患い、7歳で完全に失明。8歳で神戸の2世中島検校に入門し箏曲を学び、11歳で免許皆伝となる。1907年(明治40年)13歳の時、家業で朝鮮・仁川に移住、16歳で琴の師匠として独立、17歳で「水の変態」を作曲し作曲家としての才能を示した。22歳で最高位の「大検校」となる。1917年(大正6年)23歳で上京、本格的に作曲・演奏活動を展開。1920年、本居長世(もとおりながよ)・尺八奏者・吉田晴風らと「新日本音楽」運動を起こし、邦楽に西洋音楽の要素を導入する革新運動を展開した。1929年(昭和4年)、尺八との二重奏曲「春の海」を作曲、日本の邦楽曲としては最も有名な作品となり、1932年にはフランスの女性ヴァイオリニスト、ルネ・シュメーが編曲してパリで演奏、世界的に知られた。東京音楽学校(現・東京藝術大学)邦楽科教授として後進を育成。随筆家としても『雨の念仏』『垣隣り』など多数の著作を残した。1956年6月25日、演奏旅行のため東海道本線の夜行列車から転落し、刈谷駅近くで62歳で死去。事故死か自殺かは現在も不明。
人物像
7歳で失明したが、驚異的な記憶力と絶対音感、そして豊かな感性で音楽の世界を切り拓いた。温厚で律儀、弟子に対しては厳しくも愛情深い。晩年は随筆家としても名声を博し、目に見えない世界を繊細な言葉で描き出した。盲目であるがゆえに音の世界を極限まで研ぎ澄ませ、従来の邦楽を革新する独創性を発揮した。
歴史的意義
宮城道雄の「春の海」は、毎年正月にNHKなどで放送される日本の新年の風物詩となった。尺八と箏の二重奏に西洋音楽のソナタ形式を取り入れた革新的作品で、ヴァイオリン版・オーケストラ版・フルート版など様々な編成で世界中で演奏される。「新日本音楽」運動は邦楽界に新風を吹き込み、現代邦楽の基礎を築いた。東京・中野の旧宮城道雄邸は「宮城道雄記念館」として公開され、遺愛の楽器・楽譜・自筆原稿を所蔵。宮城会(正派邦楽会宮城会)は彼の流派として現代に継承されている。
逸話・エピソード
1929年——「春の海」作曲
1929年(昭和4年)末、宮城は翌年の新年のラジオ放送(当時のJOAK、現NHK)のため新曲「春の海」を作曲、箏と尺八の二重奏曲として発表した。明るく穏やかな旋律は、幼少期に暮らした瀬戸内海の情景を盲目の心に浮かべて描いたとされる。1932年、来日したフランスの女性ヴァイオリニスト、ルネ・シュメーが「春の海」に深く感銘を受け、ヴァイオリンとピアノ用に編曲。宮城とシュメーの共演レコードは世界中でベストセラーとなり、日本邦楽が世界に認知される契機となった。現在も日本の正月を象徴する音楽として不動の地位を占める。
1956年——刈谷駅近くでの不可解な死
1956年(昭和31年)6月25日未明、演奏旅行のため東京発大阪行きの東海道本線の急行「銀河」に乗車していた宮城は、刈谷駅付近で走行中の列車から転落し死亡した。享年62。列車の扉が開いていたこと、彼が夜中にトイレに向かおうとしたことなどから、一般には盲目ゆえの事故死とされたが、家族・関係者の中には自殺説を唱える者もあり、真相は今も謎のままである。死の直前までラジオ放送・演奏会・作曲活動を精力的にこなしており、作曲家としての絶頂期であった。
─ 完 ─
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