播磨国(または美作国)に生まれたとされる剣豪。幼名・弁之助。13歳で有馬喜兵衛との最初の決闘に勝利し、以後60余度の真剣勝負で生涯一度も敗れなかったと伝わる。二刀を同時に使う「二天一流(にてんいちりゅう)」を独自に編み出した。中でも最も有名な逸話が1612年の巌流島の決闘で、佐々木小次郎の「燕返し」の剣を破ったとされる。各地を歩んで剣の修行を続ける一方、水墨画・書道・彫刻・漆芸など多方面の芸術に秀で、剣の理念を芸術に応用した。晩年は細川藩主・細川忠利の客分として熊本に入り、霊巌洞に閉居して兵法の集大成「五輪書」を著した。水の巻・地の巻・火の巻・風の巻・空の巻からなるこの書は、剣術の域を超えた人生哲学書として現代も世界中で読まれている。1645年、「五輪書」完成直後に没した。享年61または62歳。「五輪書」は今日も世界中でビジネス書・武道書として翻訳・愛読され、武蔵の戦略哲学は現代のリーダーシップ論にも応用されている。