溝口秀勝
溝口秀勝
新発田藩祖・新発田城築城主
1548-1610 · 享年 62歳
ま だ 出 会 っ て い ま せ ん
新発田城を訪れると出会えます
ゆかりの地 1か所
溝口秀勝を訪ねる
1 ヶ所
足跡をたどって、実際に巡る。
みんなの声
推しへの想い・おすすめ作品・豆知識を語り合おう。
ログインすると投稿できます
生涯
天文17年(1548年)、尾張国に生まれた。織田信長、次いで豊臣秀吉に仕え、加治田城・海西郡海部城・尾張蟹江城など各地の城を任され城普請の経験を積んだ。慶長3年(1598年)、上杉景勝の会津移封に伴い、越後蒲原郡新発田(現・新潟県新発田市)6万石を与えられて入封。当初は五十公野に館を構えて居住し、信長・秀吉のもとで培った経験を活かして新発田城の縄張り・築城に着手した。関ヶ原の戦いでは東軍に与し、上杉遺民一揆の鎮圧にも尽力したことで徳川家康から所領を安堵され、新発田藩初代藩主となった。新発田城は秀勝の代には完成せず、3代宣直の代に至って全容が整えられた。慶長15年(1610年)、63歳で没した。溝口家は以後、外様大名でありながら幕末まで転封されることなく新発田を治め続けた。
人物像
信長・秀吉のもとで培った築城技術と実務能力に長け、外様大名としての立場をわきまえながらも徳川政権下で巧みに所領を保った現実主義者。
歴史的意義
秀勝が礎を築いた新発田城は、三階櫓に三匹の鯱を載せる全国唯一の意匠で知られ、表門・旧二の丸隅櫓は重要文化財に指定されている。溝口家は12代にわたり新発田を治め、城下町には今も武家屋敷や寺町の面影が残る。
─ 完 ─
アプリで巡礼を楽しむ
アプリで見る