1892年(明治25年)、東京・神田の産婦人科医の家に生まれた。東京帝国大学医学部を卒業し、父の病院を継ぐ傍ら、高浜虚子に師事して俳句に打ち込んだ。昭和初期、山口誓子・阿波野青畝・高野素十とともに「ホトトギス四S」と称された。1931年、虚子の「客観写生」に飽き足らず「自然の真と文芸上の真」を掲げて「馬酔木(あしび)」を主宰、ホトトギスから離脱。新興俳句運動の先駆けとなった。「早大俳句会」「馬酔木」系譜から有為の弟子を輩出し、加藤楸邨・石田波郷・能村登四郎らが育った。詩的抒情と格調高い写生を両立させた独自の句風で戦前戦後の俳壇に大きな足跡を残した。1981年7月17日、88歳で没。