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PERSON
水原秋桜子
水原秋桜子
ホトトギス「四S」・俳誌「馬酔木」主宰
1892-1981 · 享年 89歳
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生涯
1892年(明治25年)、東京・神田の産婦人科医の家に生まれた。東京帝国大学医学部を卒業し、父の病院を継ぐ傍ら、高浜虚子に師事して俳句に打ち込んだ。昭和初期、山口誓子・阿波野青畝・高野素十とともに「ホトトギス四S」と称された。1931年、虚子の「客観写生」に飽き足らず「自然の真と文芸上の真」を掲げて「馬酔木(あしび)」を主宰、ホトトギスから離脱。新興俳句運動の先駆けとなった。「早大俳句会」「馬酔木」系譜から有為の弟子を輩出し、加藤楸邨・石田波郷・能村登四郎らが育った。詩的抒情と格調高い写生を両立させた独自の句風で戦前戦後の俳壇に大きな足跡を残した。1981年7月17日、88歳で没。
人物像
医師としての冷徹な観察眼と、文学者としての抒情的感性を併せ持つ。虚子に師事しながらもその枠を超えて独自の道を拓いた独立心の強い人物。門弟への指導は厳格だが情に厚かった。
歴史的意義
俳誌「馬酔木」は1928年創刊以来、現在も有力俳誌として続き、秋桜子系譜は現代俳壇の一大勢力を形成している。代表句「冬菊のまとふはおのがひかりのみ」「啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々」は教科書にも採られる。
逸話・エピソード
「馬酔木」独立——ホトトギス離脱
1931年、秋桜子は「自然の真と文芸上の真」と題する評論を「馬酔木」に発表し、虚子の「客観写生」を乗り越える新しい俳句を提唱した。これは事実上のホトトギス離脱宣言であり、「ホトトギス四S」時代の終焉を告げた。新興俳句運動の源流となり、昭和俳句史の大きな分岐点となった。
鎌倉への愛着
秋桜子は鎌倉をこよなく愛し、寿福寺の源実朝・北条政子の墓所をしばしば訪れて句を詠んだ。代表的な寿福寺吟には「岩庇の墓を啓蟄の日に見たり」(実朝墓)「行春の岩窟の苔を冷えわたる」(政子墓)などがあり、鎌倉古都の静寂と歴史への深い畏敬が込められている。
─ 完 ─
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