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PERSON
文覚
文覚
頼朝挙兵を促した怪僧
1139-1203 · 享年 64歳
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生涯
1139年、北面の武士・遠藤盛遠として生まれた。伝説によれば、恋した人妻・袈裟御前(渡辺渡の妻)を誤って殺害し(1167年頃)、その衝撃と悔恨から出家したとされる。文覚と号し、西国・東国を遍歴しながら那智の滝に打たれる百日滝行など苛烈な荒行を重ねた。やがて神護寺(京都)の再興を朝廷に強く訴えたが、強引な行動が咎められて伊豆に流罪となった(1173年頃)。流人時代に同じく伊豆に配流されていた源頼朝と深く交わり、頼朝に亡父・義朝の髑髏を見せて「父の無念を晴らせ」と挙兵を強く促したとされる。1180年に頼朝が挙兵すると関係が解消され、文覚は神護寺復興に専念した。後白河法皇・頼朝双方の支援を得て神護寺を大いに復興させた。しかし頼朝の死後は後鳥羽上皇とも対立し、1203年に再び流罪となって佐渡・対馬へ流された。1203年没。その破天荒な生涯は多くの文学・芸能の題材となっている。
人物像
激情的で破天荒な怪僧。荒行に耐える強靭な精神力と、権力者にも臆せず物申す豪胆さを併せ持った。型破りな行動で周囲を驚かせた。
歴史的意義
源頼朝の挙兵に影響を与えた人物として源平合戦の陰の立役者。神護寺の再興者としても知られ、荒法師の典型として文学・芸能に多く描かれる。
逸話・エピソード
袈裟御前を誤って殺し出家した怪僧の原点
文覚(俗名・遠藤盛遠)の出家の原点は悲劇的な誤殺にある。恋した人妻・袈裟御前の夫を殺そうと夜に寝所に忍び込んだが、袈裟御前が夫の身代わりとして自らその場に横たわっており、盛遠は気づかず彼女を殺してしまったという。この衝撃と罪の意識から出家し、那智の滝で百日間の荒行を行う苦行僧となった。
頼朝に父の髑髏を見せ挙兵を促した一幕
伊豆に流罪となっていた文覚は、同じく流人の身にあった源頼朝と交流を深めた。文覚は頼朝に亡父・義朝の髑髏を持参し「父の無念を晴らせ」と挙兵を強く促したという。この行動が頼朝の決意を後押しし、1180年の挙兵につながったとされる。破天荒な文覚ならではの直接的な説得法であった。
─ 完 ─
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