1847年、薩摩藩士・森有恕の五男として鹿児島に生まれた。藩の洋学校・開成所で英学を学び、1865年、藩命により五代友厚らとともに英国に密航留学。ロンドン大学で学びつつ、アメリカにも渡ってキリスト教コミューンに滞在した。維新後、新政府の外国官権判事を経て駐米少弁務使として渡米。1875年、東京に商法講習所(現・一橋大学)を設立。英語公用語化論を唱えるなど急進的欧化主義者として知られた。1885年、伊藤博文内閣で初代文部大臣に就任。小学校令・中学校令・帝国大学令・師範学校令を一括公布し、近代日本の学校制度を設計した。「教育は国家のため」と説く国家主義的教育観も特徴。1889年2月11日、大日本帝国憲法発布の当日、伊勢神宮での「不敬」を理由に国粋主義者・西野文太郎に短刀で刺され、翌日死去。享年42。