1577年(天正5年)、毛利勝信の子として尾張国に生まれた。豊臣秀吉に仕え、父と共に九州の小倉6万石を領した。関ヶ原の戦いでは西軍に属して敗北し、所領を没収されて土佐の山内家に預けられた。1614年、大坂冬の陣に際して妻子を人質に残して土佐を脱出し、大坂城に入城。大坂五人衆の一人に数えられた。1615年(元和元年)5月7日、天王寺口の決戦では4,000の兵を率いて徳川方の本多忠朝・小笠原秀政らを次々に撃破し、家康の本陣にまで迫る猛攻を見せた。この突破により真田幸村の家康本陣突撃が可能になったとされる。大坂城陥落後、主君・秀頼の介錯を務め、自らも自害した。享年39。