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毛利元清(穂井田元清)
像
毛利元清(穂井田元清)
毛利元就の四男・猿掛城主
1551-1597 · 享年 46歳
ま だ 出 会 っ て い ま せ ん
猿掛城を訪れると出会えます
ゆかりの地 1か所
地
毛利元清(穂井田元清)を訪ねる
1 ヶ所
足跡をたどって、実際に巡る。
猿掛城
岡山県
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生
生涯
安芸の戦国大名・毛利元就の四男。永禄11年(1568年)、備中猿掛城を攻略して毛利方に組み入れ、天正3年(1575年)の備中兵乱終結後は兄・輝元から猿掛城番に任じられて5千余貫の知行地を得た。城のあった穂田郷の地名にちなみ穂井田姓を名乗り、以後備中東部方面の毛利氏の重鎮として活躍した。天正17年(1589年)には広島城築城の普請奉行の一人を務め、文禄の役では朝鮮に渡海した。慶長2年(1597年)、小早川隆景の急死からほどなく病没した。
人
人物像
毛利元就の四男として、兄・輝元を支える一族の重鎮であり続けた。猿掛城を拠点に備中東部の統治を任されるなど、実務・軍事の両面で信頼を集めた。
義
歴史的意義
猿掛城を拠点に備中東部を治め、毛利氏の勢力を安定させた功労者。子孫は長州藩の一門として存続した。
─ 完 ─
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