久明親王の子として1301年に生まれた。1308年、父の後を継いで7歳で第9代将軍に就任し、鎌倉幕府最後の将軍となった。在職期間は25年余りと歴代最長クラスであったが、実権は一切持たず、第14代執権・北条高時と内管領・長崎高資ら得宗被官(とくそひかん)が幕政を壟断した。1321年には高時が病を理由に出家して執権を辞したが実権は手放さず、名実ともに傀儡の時代が続いた。1331年から後醍醐天皇の倒幕運動が本格化し、元弘の変で幕府は天皇を隠岐に配流した。しかし1333年、後醍醐が隠岐を脱出すると全国各地で反幕勢力が蜂起し、足利高氏(尊氏)が京都の六波羅探題を攻め落とし、新田義貞の大軍が鎌倉に迫った。守邦親王は将軍職を辞し出家した。1333年5月22日、北条高時ら一族が東勝寺で自害して幕府は滅亡した。守邦はその後も生き続け、同年末に没したとされる。