1308年、後醍醐天皇の皇子として生まれた。幼くして天台宗の門に入り、延暦寺座主(天台宗の最高位)にまで上り詰めた。父・後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を決意すると還俗して令旨を諸国に送り、自らも吉野・熊野・南伊勢を拠点に幕府軍を相手に果敢なゲリラ戦を展開した。護良親王の令旨は全国の武士の蜂起を促す一因となり、幕府崩壊の遠因を作った。1333年に幕府が滅亡すると征夷大将軍に任じられたが、間もなく足利尊氏と激しく対立した。尊氏は護良が自分を討とうとしていると後醍醐天皇に讒言し、後醍醐はやむなく皇子を逮捕して鎌倉に送り、足利直義の監視下に幽閉した。1335年、北条時行が鎌倉を奪回した中先代の乱が勃発すると、足利直義は護良を利用させまいとの判断から家臣・淵辺義博に命じて護良親王を殺害させた。享年28歳。鎌倉宮(大塔宮、鎌倉市二階堂)はその霊を祀るために明治天皇の命で創建され、今日も崇敬を集めている。