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PERSON
護良親王
護良親王
悲運の征夷大将軍
1308-1335 · 享年 27歳
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生涯
1308年、後醍醐天皇の皇子として生まれた。幼くして天台宗の門に入り、延暦寺座主(天台宗の最高位)にまで上り詰めた。父・後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を決意すると還俗して令旨を諸国に送り、自らも吉野・熊野・南伊勢を拠点に幕府軍を相手に果敢なゲリラ戦を展開した。護良親王の令旨は全国の武士の蜂起を促す一因となり、幕府崩壊の遠因を作った。1333年に幕府が滅亡すると征夷大将軍に任じられたが、間もなく足利尊氏と激しく対立した。尊氏は護良が自分を討とうとしていると後醍醐天皇に讒言し、後醍醐はやむなく皇子を逮捕して鎌倉に送り、足利直義の監視下に幽閉した。1335年、北条時行が鎌倉を奪回した中先代の乱が勃発すると、足利直義は護良を利用させまいとの判断から家臣・淵辺義博に命じて護良親王を殺害させた。享年28歳。鎌倉宮(大塔宮、鎌倉市二階堂)はその霊を祀るために明治天皇の命で創建され、今日も崇敬を集めている。
人物像
僧侶から武将に転じた行動派の皇子。山岳ゲリラ戦を展開する大胆さと、足利尊氏の野心を早くから見抜く洞察力を持っていた。
歴史的意義
鎌倉宮(大塔宮)に祭神として祀られている。鎌倉幕府打倒に貢献しながら非業の死を遂げた悲劇の皇子として、鎌倉の歴史に刻まれている。
逸話・エピソード
比叡山の僧侶から幕府打倒のゲリラ武将へ
護良親王は天台座主(天台宗の最高位)まで上り詰めた高僧であったが、父・後醍醐天皇の倒幕計画に呼応し還俗した。吉野・熊野・南伊勢の山岳地帯を拠点に幕府軍を相手に果敢なゲリラ戦を展開し、全国の武士に令旨(倒幕の命令書)を発して蜂起を促した。その行動力と軍事的貢献は鎌倉幕府崩壊の一因となった。
土窖(どこ)に一年以上幽閉され斬殺された悲運の皇子
足利尊氏の讒言により父・後醍醐天皇に逮捕され、鎌倉に送られた護良親王は、足利直義の屋敷の土窖(地下の土牢)に一年以上幽閉された。1335年、中先代の乱で北条時行が鎌倉に迫ると、直義は護良を利用させまいと家臣・淵辺義博に命じて暗殺させた。享年28。鎌倉宮(大塔宮)はその霊を慰めるために明治天皇の命で建立された。
─ 完 ─
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