戦国時代の大名。安芸国吉田郡山城(現・広島県安芸高田市)を本拠とする毛利氏の当主。幼少時に父・弘元を失い、兄・興元の死後に家督を継いだ。謀略・外交・戦略を駆使して勢力を拡大し、1540年の郡山城の戦いで大内義隆の援軍を得て出雲の尼子晴久を撃退。1555年の厳島の戦いでは、陶晴賢(大内家の実権を握った武将)の大軍を地形と潮流を利用した奇策で壊滅させ、戦国史上屈指の名将として名声を確立した。その後、大内氏の旧領を吸収しながら中国地方のほぼ全域を制圧した。三男への遺訓「三矢の訓」(一本の矢は折れやすいが三本束ねると折れない)は毛利家の団結を象徴するエピソードとして広く知られる。75歳で没。