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PERSON
本居宣長
本居宣長
国学の大成者・『古事記伝』著者
1730-1801 · 享年 71歳
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生涯
1730年、伊勢国松坂(現・三重県松阪市)の木綿商・小津家の次男として生まれた。幼名・富之助。11歳で父を失い、家業を継ごうとしたが商才に乏しく、母の勧めで京都に出て医学を学んだ。1757年、28歳で松坂に帰り、医師を開業しながら古典研究を本格化。1763年、伊勢参宮の途中で松坂を訪れた賀茂真淵と一夜の問答を果たし(「松坂の一夜」)、入門。真淵から『古事記』研究を託された。以後35年間、昼は医師、夜は学者として『古事記』の全44巻の注釈『古事記伝』を1798年に完成(1764年着手)。主著『源氏物語玉の小櫛』では『源氏物語』から「もののあはれ」を日本文学の本質として抽出。神道思想を儒教・仏教の「漢意(からごころ)」から解放し、純粋な日本精神「大和心(やまとごころ)」を説いた。鈴屋(すずのや)と名付けた自宅書斎で学問を営む。1801年、72歳で松坂にて没。
人物像
温厚誠実にして謙虚な学者。日中は医師として町人の病を診て、夜は書斎「鈴屋」で古典研究に没頭する実直な生活を送った。町人・農民の娘であった妻・たみに先立たれながらも、50人以上の弟子を集め自宅で学問を講じた。「歌はしらべを貴ぶ」と自ら多くの和歌を詠み、『古今和歌集』の雅を愛した。儒教・仏教の形式主義を排し、「感じるままに、自然に」という日本人的情感を重んじる生き方を貫いた。
歴史的意義
宣長の『古事記伝』は日本最古の歴史書を体系的に解読した金字塔で、国学・日本古代史研究の基盤となった。「もののあはれ」論は日本文学論の核心として以後も受け継がれ、芥川龍之介・川端康成ら近代文学者にも影響を与えた。平田篤胤を通じて復古神道・尊皇思想へ、さらには幕末の尊皇攘夷運動へと展開。明治以降は国家神道の思想的源流ともなった。一方、小林秀雄『本居宣長』(1977年)は宣長の文学論を現代的に再評価し、「日本的精神の原点」として位置付けた。鈴屋(松阪の旧宅)は現在、本居宣長記念館として保存されている。
逸話・エピソード
1763年——松坂の一夜、賀茂真淵との出会い
1763年5月、伊勢参宮の途中、松坂に宿泊した国学者・賀茂真淵(66歳)のもとを、33歳の宣長が訪ねた。わずか一夜の問答で宣長は『古事記』研究の志を真淵に打ち明け、真淵は「己は『万葉集』に専念する。『古事記』研究は君に託したい」と応えた。これが「松坂の一夜」として国学史上に語り継がれる出来事である。宣長はその後、書簡による通信教育のみで真淵の指導を受け、『古事記伝』の執筆を始めた。二人は生涯のうち、この一度しか会わなかったとされる。
35年をかけた『古事記伝』完成
1764年に着手した『古事記伝』は、1798年、ついに全44巻で完成した。35年間の歳月であった。『古事記』の万葉仮名・漢字表記を古代日本語の音に復元し、一字一句に綿密な注釈を付した。この仕事により、神話時代の日本語の音韻・文法・語彙が体系的に解明され、日本語学の基礎が築かれた。宣長は医業の傍らで夜遅くまで執筆を続け、完成時には69歳となっていた。「大和心(やまとごころ)」「もののあはれ」などの概念は、この作業を通じて鍛え上げられた。
─ 完 ─
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