973年頃、漢学者・藤原為時の娘として京都に生まれた。幼少期から漢籍に親しみ、弟の講義を聞くうちに先に内容を理解してしまうほどの秀才ぶりに、父が「この子が男であったなら」と嘆いたと伝わる。若くして父の任地・越前(福井県)に同行し、998年頃に年上の廷臣・藤原宣孝と結婚して一女・賢子をもうけた。しかし1001年に夫と死別し、悲しみの中で日記と歌を詠み始めた。1006年頃、一条天皇の中宮・藤原彰子(道長の娘)のもとに女房として出仕した。そこでの宮廷生活の経験を活かし、光源氏という架空の貴公子の恋愛と栄枯盛衰を描いた「源氏物語」全54帖を完成させた。同時代に執筆した「紫式部日記」には宮中の様子や心境が綴られており、清少納言への批評も記されている。晩年は不詳で、1014年頃に没したとされる。源氏物語は100万字を超える大長編で、世界最古の長編小説とも称される日本文学の金字塔である。