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夢窓疎石
夢窓疎石
七朝帝師・庭園の天才
1275-1351 · 享年 76歳
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驚
へぇ、と思う三話
其 一
七朝帝師——七代の天皇に仕えた前代未聞の高僧
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夢窓疎石は後醍醐・光明・崇光・後光厳・後村上・長慶・後亀山という七代の天皇・上皇から国師号を賜り「七朝帝師」と称された。南北朝という政治的分裂の時代に、対立する南朝・北朝双方から尊敬を受けた点は極めて稀有である。政治を超越した宗教的権威と庭園の美的才能が、分裂した時代の両陣営に認められた。
其 二
天龍寺の建立と天龍寺船——庭園と外交の政治的天才
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夢窓は足利尊氏・直義兄弟に、敵対した後醍醐天皇の菩提を弔うため天龍寺(京都)の建立を勧めた(1339年)。その建設費用を捻出するため元との貿易船「天龍寺船」の派遣を進言したのも夢窓の発案とされる。日本庭園史に革命をもたらした西芳寺(苔寺)・天龍寺の庭園設計と並び、外交・経済政策にまで影響を与えた稀有な宗教者であった。
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深
さらに深く
生
生涯をくわしく
生い立ちから最期まで
1275年、伊勢国(現・三重県)に生まれた。8歳で出家し、比叡山・奈良諸寺で学んだ後、鎌倉の建長寺・円覚寺などで禅を修行した。師を求めて各地を遍歴する中で悟りを開き、高名な禅僧として後醍醐天皇・足利尊氏双方から帰依を受けた。後醍醐天皇が吉野に没した後、足利尊氏・直義兄弟に天龍寺(京都市右京区)の建立を勧め、天皇の菩提を弔わせた(1339年)。天龍寺建立の費用を賄うため元との貿易船(天龍寺船)を派遣したのも夢窓の進言による。後醍醐・光明・崇光・後光厳・後村上・長慶・後亀山の七代の天皇・上皇から国師号を賜り「七朝帝師」と称された。禅の修行のかたわら造園の才を発揮し、西芳寺(苔寺、現・世界遺産)・天龍寺(同・世界遺産)・恵林寺・永保寺・瑞泉寺など各地に名庭を設計した。枯山水庭園の源流の一つを形成した。五山文学の発展を主導し、室町文化の精神的支柱となった。1351年、77歳で入寂した。
人
人物像
政治的対立を超えて南朝・北朝双方から敬われた稀有な宗教者。自然を深く愛し、庭園に禅の精神を表現する芸術的感性に優れていた。
義
歴史的意義
日本庭園史に革命をもたらした禅僧。西芳寺・天龍寺の庭園は世界遺産に登録されている。室町文化(五山文学・庭園・茶)の精神的支柱となった。
系
家系図
親
父
不詳
佐々木朝親
源氏の末裔とされる。
本
本人
夢窓疎石
1275-1351
記
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夢
夢窓疎石と禅庭園——七朝帝師が遺した天龍寺・西芳寺の世界遺産
夢窓疎石(1275-1351)は、南北朝の対立を超えて七代の天皇から「国師」の号を贈られた室町時代最大の禅僧です。天龍寺・西芳寺(苔寺)という二つの世界遺産庭園を設計し、鎌倉の瑞泉寺作庭でも知られます。足利尊氏の外交政策にも深く関与した「庭園と外交の政治的天才」の足跡を、現地で感じましょう。
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─ 完 ─
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