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PERSON
永倉新八
永倉新八
新選組二番隊組長
1839-1915 · 享年 76歳
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生涯
松前藩士の子として生まれ、神道無念流の名手。江戸の試衛館で近藤勇と出会い、文久3年(1863年)の上洛に同行した。新選組では二番隊組長として多くの戦闘で功績を挙げた。池田屋事件・禁門の変など数々の激戦を経験した。慶応3年(1867年)には伊東甲子太郎ら御陵衛士の粛清(油小路事件)にも加わった。鳥羽・伏見の戦い以後、近藤勇の専制的な指導方針に反発して新選組を離脱し、有志と共に靖共隊を組織して東北・箱館へと転戦した。明治維新後は北海道・小樽に定住し、1912年(明治45年)頃に「新撰組顛末記」を著して新選組の歴史を後世に伝えた。1915年(大正4年)に76歳で没した。新選組生き残りの中で最も長寿であった。
人物像
剛直な剣客気質で、不合理と感じれば組織や上官にも正面から意見する気骨があった。戦場では勇猛果敢であり、仲間への義理を最後まで貫いた。
歴史的意義
「新撰組顛末記」は新選組の一次資料として極めて貴重であり、後世の研究と創作の基盤となった。長寿を全うして晩年に歴史を記録したことは、新選組史における最大の贈り物の一つである。
逸話・エピソード
新選組二番隊長の剣——近藤・土方と袂を分かった後の生涯
永倉新八は新選組二番隊組長として池田屋事件・禁門の変・鳥羽伏見の戦いなど多くの戦いで活躍した「神道無念流の達人」である。1868年の戊辰戦争では近藤・土方と袂を分かち、靖兵隊を率いて独自に行動した。近藤の処刑後は北海道に移り晩年を過ごし、1915年に77歳で没した。明治末年に新選組の回顧録「新撰組顛末記」を口述し、新選組の歴史を後世に伝えた貴重な証言者となった。永倉の証言は今も新選組研究の基本資料となっている。
関連する歴史的事件
1864
池田屋事件
1864年(元治元年)6月5日深夜、京都三条小橋の旅館・池田屋(現在の京都府京都市中京区)に潜伏していた尊王攘夷派志士を、新選組が急襲した事件。近藤勇・沖田総司・土方歳三らが率いる新選組は、長州藩を中心とした志士約30名と激闘を繰り広げ、吉田稔麿・望月亀弥太ら複数の志士を討ち取った。長州藩はこの一報を聞いて京都奪還を目指し、翌月の禁門の変を起こすが惨敗。新選組はこの活躍で名声を高め、幕府方の治安維持部隊として確固たる地位を確立した。現在、池田屋跡地は居酒屋チェーン店となっており、当時の間取りを模した内装でその歴史を伝えている。
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ゆかりの地 — 2
前川邸
京都府
永倉新八は前川邸を拠点に、二番隊組長として数々の任務に当たった。その回顧録『新撰組顛末記』には前川邸での日常や訓練の様子が記録されており、貴重な一次資料となっている。
池田屋跡
京都府
永倉新八は池田屋の激闘で活躍し、複数の志士と斬り結んだ。後年の回顧録にこの夜の激戦を生々しく記しており、池田屋事件の一次証言として極めて重要な記録となっている。
─ 完 ─
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