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PERSON
長野業正
長野業正
上州の黄斑
1491-1561 · 享年 70歳
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生涯
1491年(延徳3年)、上野国の豪族・長野氏の当主として生まれた。箕輪城(現・群馬県高崎市)を本拠とし、関東管領・上杉氏に仕えた。上杉氏の衰退後も上野国西部の実力者として勢力を維持した。1557年以降、武田信玄が西上野への侵攻を本格化させると、業正は箕輪城に拠って武田軍を何度も撃退した。その回数は6度に及ぶとも伝えられ、信玄をして「業正ひとりが上野にいる限り、上野を攻め取ることはできぬ」と嘆かせたという。1561年(永禄4年)11月22日、70歳で病死。嫡男・業盛に「わが葬儀は不要。甲冑を棺に入れよ。武田が来たら城を枕に討ち死にせよ」と遺言したと伝わる。業正の死後、信玄は再び西上野に侵攻し、1566年に箕輪城は陥落した。
人物像
武骨で頑固、しかし家臣や領民からの信頼は厚かった。中央の権力に頼らず、自力で領国を守り抜く気概を持つ。死に際しても武人としての矜持を貫いた。
歴史的意義
武田信玄の西上野侵攻を繰り返し退けた名将として、上州武士の鑑とされる。箕輪城は日本100名城に選ばれており、業正の武名と共に今も訪れる人が絶えない。信玄が最も恐れた武将の一人。
逸話・エピソード
「業正がいる限り上野は取れぬ」——信玄を嘆かせた男
1557年以降、武田信玄は精強な武田軍を率いて西上野に幾度も侵攻した。しかし箕輪城の業正は、地の利を活かした巧みな籠城戦と野戦を駆使して武田軍をことごとく撃退した。信玄が直接大軍を率いても業正は一歩も退かず、信玄は「業正ひとりが上野にいる限り、上野を攻め取ることはできぬ」と嘆じたと伝えられる。戦国最強と謳われた信玄をここまで手こずらせた武将は他にほとんどいない。なお、6度撃退の逸話は江戸時代の創作の可能性も指摘されているが、業正が信玄の侵攻を阻んだ事実は広く認められている。
─ 完 ─
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