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PERSON
長崎高資
長崎高資
内管領・得宗被官の権勢
?-1333 · 享年 38歳
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生涯
鎌倉幕府末期に権勢を振るった得宗被官(北条得宗家の家臣)で、内管領を務めた。父は長崎高綱(円喜)。第14代執権北条高時の側近として幕政の実権を掌握し、執権や連署を凌ぐ権力を持ったとされる。賄賂政治を横行させ、訴訟の裁定を金銭で左右したとの批判が『太平記』などに記されている。高時が闘犬や田楽に耽溺する中、高資が実質的に幕府を運営したが、その専横は御家人層の不満を招き、幕府の求心力低下を加速させた。1333年の新田義貞による鎌倉攻めの際、高時とともに東勝寺で自害し、北条氏とその家臣団は最期を迎えた。
人物像
権力欲が強く、賄賂を用いて幕政を壟断した専横な人物として描かれる。ただし幕府末期の混乱期に実務を担った能吏としての側面も否定できない。
歴史的意義
内管領による専制は幕府滅亡の直接的原因の一つとされる。得宗被官が執権を凌ぐ権力を持つに至った構造的問題は、鎌倉幕府の政治体制の限界を示すものであった。
逸話・エピソード
執権を凌ぐ権力を握った陰の支配者——幕府腐敗の象徴
長崎高資は名目上は内管領という役職だったが、実質的には第14代執権・北条高時を凌ぐ権力を持ち、幕府政治を独占した。『太平記』は高資が訴訟の裁定を賄賂で決め、「銭あれば非も是になる」と言われる状況を作り出したと記している。高時が闘犬や田楽に熱中する間、高資が実務を仕切ったが、その専横は全国の御家人の不満を招いた。1333年、新田義貞の鎌倉攻めで北条氏が滅亡する際、高資も東勝寺で自害した。
─ 完 ─
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