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中大兄皇子
像
中大兄皇子
大化の改新の立役者・天智天皇
626-672 · 享年 46歳
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驚
へぇ、と思う三話
其 一
大化の改新と天智天皇——日本最初の律令国家の建設
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中大兄皇子(後の天智天皇)は645年に中臣鎌足とともに蘇我入鹿を暗殺し(乙巳の変)、大化の改新を断行した。公地公民制・班田収授法・租庸調制などを整備して、氏族制に代わる国家体制を構築した。668年に天智天皇として即位し、近江令(日本最古の律令)の制定に着手した。死後の壬申の乱(672年)では弟・大海人皇子が天武天皇として即位し、律令国家形成を引き継いだ。
其 二
乙巳の変
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645年、中臣鎌足と共に大極殿で蘇我入鹿を暗殺。蘇我氏の専横を打破し、大化の改新を断行して律令国家の礎を築いた。
其 三
近江令と白村江
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日本初の体系的法典「近江令」を制定。白村江の戦い(663年)で唐・新羅連合軍に大敗し、国防体制の強化に努めた。「秋の田の…」の百人一首第一番の歌の作者。
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深
さらに深く
生
生涯をくわしく
生い立ちから最期まで
626年、舒明天皇と皇極天皇(後の斉明天皇)の皇子として生まれた。若くして蘇我氏の専横に危機感を抱き、中臣鎌足と秘密裏に協力して打倒蘇我の謀議を進めた。645年、飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を自ら剣で斬りつける乙巳の変を決行し、蘇我本宗家を滅ぼした。以後、孝徳天皇のもとで皇太子として実権を握り、大化の改新を主導。公地公民制・班田収授法・国郡里制など律令国家の基礎を整備した。663年の白村江の戦いでは唐・新羅連合軍に大敗し、朝鮮半島からの撤退を余儀なくされた。この教訓から国内の防衛体制を強化し、水城・山城などの築造や防人制度の整備を進めた。668年に即位して天智天皇となり、近江大津宮に遷都して律令の編纂・庚午年籍(全国戸籍)の作成を実施した。671年に薨去。後継者を指名しなかったため、翌年に弟・大海人皇子との間で壬申の乱が勃発した。
人
人物像
果断にして冷徹。蘇我氏打倒の際は自ら剣を取る行動力を見せた。政治改革への強い意志と、白村江敗戦後の迅速な国防整備に優れた指導力が窺える。
義
歴史的意義
大化の改新により日本の中央集権国家体制の礎を築いた。百人一首の巻頭歌「秋の田の…」の作者としても知られる。死後の後継争い(壬申の乱)は日本古代史最大の内乱となった。
系
家系図
本
本人
中大兄皇子
626-672
子
長男
648-672
大友皇子
壬申の乱に敗れ自害。後に弘文天皇と追号。
兄弟
弟
631-686
大海人皇子
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後の天武天皇。壬申の乱で天智の子を破る。
記
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大
大化の改新と天智天皇——乙巳の変から律令国家誕生までの激動の物語
645年、中大兄皇子は中臣鎌足と手を組み、権勢を誇った蘇我入鹿を宮廷で暗殺しました(乙巳の変)。この事件を契機に始まった「大化の改新」は、日本初の年号制定・公地公民制・班田収授法など画期的な改革を断行し、律令国家の礎を築きました。談山神社・近江神宮・石上神宮を旅しながら、天智天皇の壮大な国家建設の歩みを追いましょう。
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─ 完 ─
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