626年、舒明天皇と皇極天皇(後の斉明天皇)の皇子として生まれた。若くして蘇我氏の専横に危機感を抱き、中臣鎌足と秘密裏に協力して打倒蘇我の謀議を進めた。645年、飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を自ら剣で斬りつける乙巳の変を決行し、蘇我本宗家を滅ぼした。以後、孝徳天皇のもとで皇太子として実権を握り、大化の改新を主導。公地公民制・班田収授法・国郡里制など律令国家の基礎を整備した。663年の白村江の戦いでは唐・新羅連合軍に大敗し、朝鮮半島からの撤退を余儀なくされた。この教訓から国内の防衛体制を強化し、水城・山城などの築造や防人制度の整備を進めた。668年に即位して天智天皇となり、近江大津宮に遷都して律令の編纂・庚午年籍(全国戸籍)の作成を実施した。671年に薨去。後継者を指名しなかったため、翌年に弟・大海人皇子との間で壬申の乱が勃発した。