1608年、近江国高島郡小川村(現・滋賀県高島市)の農家・中江吉次の長男として生まれた。9歳で祖父に伴われ米子の加藤家に仕え、のち大洲藩(伊予国)に移る。朱子学を独学で学び、27歳で母に孝養を尽くすため脱藩を決意、近江に帰郷して私塾を開いた。「藤樹書院」と呼ばれたこの塾は、身分を問わず近隣の農民・商人にも開かれ、徳目・孝行・論語を中心に教えた。その人格と教えは村人を感化し、「近江聖人」と称された。晩年は中国の王陽明の『伝習録』に傾倒し、日本最初の本格的な陽明学者となる。主著『翁問答』(1640年)では、儒教の形式主義を批判し「孝」を万人の徳の根源とする独自の哲学を展開。弟子の熊沢蕃山は岡山藩で藩政改革を主導し、陽明学の実践を示した。1648年、40歳の若さで病没。