寛永5年(1628年)、盛岡藩2代藩主・南部利直の七男として、側室・仙寿院の子に生まれた。当初は母方の姓を名乗り中里直好(中里数馬)と称していた。寛文4年(1664年)、盛岡藩3代藩主・南部重直が跡継ぎのないまま没すると、江戸幕府の裁定により南部家の所領10万石が分割され、兄・重信が盛岡藩8万石を継ぎ、直好は新たに2万石を与えられて八戸藩を立藩、「南部直房」と改名した。直房は根城南部氏の支城であった中館の建物を修築して八戸城とし、家臣団の編成と城下町の整備に着手した。しかし立藩からわずか4年後の寛文8年(1668年)、41歳で急死した。病死とされるが、盛岡藩による関与を疑う説もあり、幕府が調査にあたったと伝わる。