戦国・江戸時代初期の武将。上杉謙信・景勝に仕えた上杉家の家老・軍師。兜の前立てに大きく「愛」の字を掲げた武将として広く知られる。謙信の死後は景勝を補佐し、豊臣政権下では奉行を務めた。1600年の関ヶ原前夜、徳川家康を公然と批判した「直江状」は当代一の名文と称され、家康の怒りを買い関ヶ原合戦の引き金の一つになったともされる。関ヶ原後は上杉氏の会津120万石から米沢30万石への大減封に直面しながら、藩政改革・治水・産業振興を行って米沢の発展に尽くした。文武両道の才人として知られ、私塾を開いて学問を広めた。1620年、61歳で没した。「愛」の兜のモチーフは愛染明王・愛宕権現への信仰を示すとも、「仁愛」の精神を示すとも解釈される。