永禄4年(1561年)、遠江国の井伊家に生まれたが、幼くして父を失い苦難の幼少期を過ごした。1575年頃から徳川家康に仕え始め、その才覚を認められて異例の速さで出世した。旧武田軍の赤備え(赤い甲冑で統一した部隊)を引き継ぎ、赤備えの井伊と呼ばれた。小牧・長久手の戦い(1584年)・小田原征伐(1590年)など多くの合戦に参加し、関ヶ原の戦い(1600年)では東軍の先鋒として活躍した。関ヶ原での銃傷が元で1602年に没した。享年42歳。徳川四天王(本多忠勝・榊原康政・酒井忠次と並ぶ)のひとりで、家康の外交担当としても重要な役割を果たした。彦根藩の初代藩主となり、その子孫が幕末の大老・井伊直弼を輩出した。