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PERSON
名和長年
名和長年
伯耆の豪族・後醍醐天皇の忠臣
?-1336 · 享年 46歳
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生涯
伯耆国(現在の鳥取県中西部)の豪族・海運業者。1333年、隠岐に配流されていた後醍醐天皇が脱出した際、名和長年は天皇を船上山に迎え入れて挙兵した。幕府の追討軍を船上山の険しい地形を利用して撃退し、天皇の安全を確保した功績は大きい。建武の新政では「三木一草」(楠木正成・結城親光・千種忠顕・名和長年)の一人として重用され、因幡守に任じられた。1336年、足利尊氏の反乱に際して京都防衛戦に参加し、奮戦の末に戦死した。海運で財力を蓄えた地方豪族が天皇方の主力となった点は、鎌倉末期の社会構造の変化を示している。
人物像
海運で培った実行力と決断力を持つ地方の実力者。天皇の危機に即座に応じた忠義心と、険峻な地形を活かす実践的な軍事眼を兼ね備えた。
歴史的意義
船上山での挙兵は建武の新政成立の重要な契機となった。名和神社が鳥取県に現存し、長年を祭神として祀っている。
逸話・エピソード
隠岐脱出の後醍醐天皇を船上山で迎えた決断
1333年、隠岐の配流先を脱出した後醍醐天皇が伯耆国に到達した。名和長年は天皇を船上山(現・鳥取県大山町付近)に迎え入れ、幕府への反旗を翻して挙兵した。船上山はその険しい地形から幕府の追討軍を撃退するのに適しており、長年はここで一か月以上にわたって天皇の安全を守り続けた。その間に足利高氏・新田義貞らが各地で挙兵し、鎌倉幕府崩壊の連鎖が起きた。長年の決断は後醍醐天皇の復活を可能にした重要な一手であった。
─ 完 ─
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